フィリピンの通貨 (Philippine currency)
フィリピンの貿易銀貨 (Philippine Trade Dollar)
貿易銀(Trade Dollar)は、メキシコ・ドルなど世界市場において流通した1ドル銀貨と同サイズの、貿易取引専用に発行された大型銀貨で、基本的にこれらは量目420グレーン、品位.900、直径38ミリ前後の銀貨です。世界最初のコインは、リディア王国の中心地サルディスを流れるパクトロス川から採れた金73%、銀27%の自然合金「エレクトラム(Electrum)」により作られたと言われています。1516年ごろ、現在のチェコ共和国のヤーヒモフ(Jachymov)で銀鉱山が発見され、サンクト・ヨアヒムスタール(Sankt joachimsthal)と呼ばれる鉱山町が誕生します。1517年以降、同銀山から産出する銀で銀貨が造られるようになり「ヨアヒムスターラー(Joachimsthaler)銀貨」と呼ばれるようになります。この「ターラー銀貨」は、重さ約30g、品位95%で金貨と等価で通用する大型のもので、当時のヨーロッパ国際通貨、イタリアの「フローレンス金貨」に代わるものとして広く用いられ、ヨーロッパ各国の銀貨の原型となります。
各地のターラーは、イタリアのタレーロ(taller)、エチオピア、ポーランドのタラール(talar)、 オランダのダールダー(daalder)、スカンジナビアのダラー(Daler)、スロベニアのトラール(tolar)、ノルウェー、デンマークのターレル(Thaler)などでした。
スペインや、スペイン領メキシコの通貨単位は、「ペソ(PESO)」ですが、スペインでも自国の銀貨をヨーロッパ各国の原型となった「ターラー銀貨」を基準に鋳造し、スペイン領メキシコでも「ターラー銀貨」を基準にした銀貨が製造されました。このため、イギリスではスペイン銀貨やメキシコ・ドルを正式な通貨単位名ではない「スペイン・ダラー(Spanish dollar)」や、「メキシコ・ダラー(Mexican Dollars)」と呼ぶようになり、アメリカ合衆国においても自国通貨をダラー(Dollar)と呼ぶようになったそうです。
ピース・オブ・エイト(piece of eight)
- 1497年のスペイン通貨改革の後に鋳造された8レアル(Reales)銀貨を、ピース・オブ・エイト(piece of eight)と言い、メキシコを中心とする、スペイン系の中南米諸国で鋳造されて長く国際決済で用いられてきました。8レアル銀貨はアメリカ合衆国の建国当初の米ドル・コインとして認められていて、1857年の造幣法が廃止されるまで米国の法定貨幣でした。
「アメリカはイギリスの植民地として出発したため、本来、商品などの価格は本国と同様のポンド、シリング、ペンス建てであった。本国の重商主義政策、それにもとづくイギリス本国よりの正貨輸出の禁止、及び貨幣大権によるアメリカ植民地での造幣禁止等によって、アメリカ植民地は通貨の不足になやまされた。そのためにタバコ・トウモロコシ・毛皮等の代用商品通貨が出現する一方、他方ではスペイン領西インド諸島との貿易を通じてスペイン・ドル、メキシコ・ドルとよばれる銀貨が大量に流入し、アメリカの一般的通貨となった。・・・・しかし、メキシコ・ドルがアメリカ植民地通貨の主要部分を占めるにつれて、それのポンド建てへの読みかえ・換算が不便・面倒ということもあって次第に読みかえ・換算は行われなくなり、ドルはドルとしてそのまま通用するようになった。通貨面におけるアメリカ植民地のイギリス本国からの離脱であり、1776年のアメリカ独立への一石であった」経済学事始より。
- 8レアル銀貨は大航海時代には代表的な貿易貨幣として、イギリスの植民地やアメリカ合衆国でも広く流通しました。
18世紀に入ると、ボリビア(Bolivian)、チリ(Chilean)、メキシコ(Mexican)、ペルー(Peruvian)などで、 ヘラクレスの柱(Pillars of Hercules) を描いた「ピラー・ダラー(Pillar Dollar)」と呼ばれる大型銀貨が造られるようになり、1720年頃になると、ピラー・ダラーに代わりスペイン王の胸像が描かれた「カルロス・ドル(Carlos dollar)」が造られるようになります。
写真左、中央にカルロス4世の胸像が描かれ、周囲に「CAROLUS・IIII・DEI・GRATIA」カルロス三世、神の恩寵によるの文字。
写真右は、スペイン紋章の両側に、ジブラルタル海峡とレオナ岬を表す柱「ヘラクレスの柱(Pillars of Hercules)」、周囲に「HISPAN・ET IND・REX・M・8R・F・Mo・」スペインそしてインドの王、8レアル、メキシコシティ・ミントの文字が表示されています。
1821年にはメキシコが独立し、1823年からは14か所のメキシコシティ造幣局から1897年まで70年以上にわたって鷲を描いたメキシコ・ドルが発行され、総発行枚数は5.5億枚を超えるそうです。
写真左、中央にサボテンの上にとまる蛇をくわえた鷲が描かれ、周囲に「REPUBLICA MEXICANA」メキシコ共和国の文字。
写真右、中央に自由の帽子、周囲下部に「8R.Mo.1893.M.H.10Ds.20Gs.」8レアル、メキシコシティ・ミント、1893年発行が表示されています。
ヨーロッパ、アメリカ大陸、および極東で、広く使われ続け、18世紀の後半には最初の国際通貨となります。また、既存の多くの通貨が8レアル銀貨に基づき鋳造されました。
フィリピン・ペソ(Philippine peso)
- メキシコ独立戦争の影響などにより、1815年にガレオン貿易が廃止され19世紀初めに、フィリピンは重商主義的植民地支配から自由主義的植民地支配に移行します。
1834年にマニラが正式に開港されると、自由主義の下で輸出向けの商品作物の栽培が進み、マニラ麻や砂糖、タバコなどがアメリカ合衆国とイギリスの市場に向けて生産されました。
当時、南米の多くのスペイン植民地が独立し共和国になりました。しかし独立しても、貿易相手国としてのフィリピンと取引を続け、自国の新しい通貨が1886年まで並んで流通していました。支払われた硬貨はスペイン当局により合法化するために刻印(Counterstamps)が押され使用されました。
1898年、アメリカがスペインからフィリピンの領有権を買収すると、それまで貿易決済に使われていたメキシコ・ドルを一掃するため、1903年から独自のフィリピン・ペソ貿易銀貨を発行します。 鋳造はフィラデルフィアやサンフランシスコで行われました。
主な貿易銀貨
- アメリカの「フィリピン・ペソ」
- アメリカの「トレード・ダラー」
- イギリスの「海峡植民地ドル」
- イギリスの「香港ドル」
- オーストリアの「マリア・テレジア・ターラー」
- スペインの「ピラー・ダラー」
- スペインの「カルロス・ドル」
- フランスの「貿易ピアストル」
- メキシコの「メキシコ・ドル」
- 中華民国の「壹圓」
- 清国の「光緒元寶 七銭二分」
- 日本の「貿易銀」
金銀比価(Gold silver ratio)
- 純金と純銀の同一価格での質量比を、金銀比価(Gold silver ratio)といいます。12世紀のヨーロッパでは、金銀比価は、約1対12で安定していました。しかし1520年ころにメキシコのグアナフアト(Guanajuato)で銀鉱山が発見され、1530年にはペルーのウチュチャクア(Uchucchacua)でも銀鉱山が発見され大量の銀がヨーロッパに流入すると、銀価格は一挙に1/3に下がり、金銀比価は約1対15となります。
イギリスでは、1712年に造幣局長であったアイザック・ニュートンが 、金1オンス=銀3ポンド17シリング9ペンスと定めましたが、これは金銀比価1対15.21に相当しました。
アメリカでは、1792年に鋳造貨法が制定され、ドルが貨幣単位となります。1794年にはドル銀貨が鋳造され、翌年の1795年にはドル金貨が鋳造されます。当時は、金銀複本位制で、金銀比価は約1対15に相当していました。
フランスでは、フランス革命政府が発行した1800年前後の貨幣は、品位900の40フラン金貨12.9039g、品位900の5フラン銀貨25.0gで、金銀比価は1対15.5に相当していました。 地域によって相違はありましたが、ヨーロッパでは、1500年〜1870年は約1対15.5、1870年〜1900年は約1対33、1900年〜1930年は約1対40に相当していました。
1816年には、イギリスの貨幣法でソブリン金貨を1ポンドとして流通させた金本位制が法的に初めて実施されますが、 1931年には、イギリスが金本位制を離脱し、日本も金輸出を再禁止するなど、世界的に金本位制が崩壊し、この年を境にして、金や銀の価格は政府の統制を離れ、投資家の思惑や為替相場などにより乱高下するようになります。
- 金銀比価の推移
金銀交換レートの歴史(History of Gold/Silver Ratio)より作成
- フィリピン・ペソ(Philippine peso) 1903年から1906年には世界の貿易銀貨と同サイズの大型1ペソ銀貨でしたが、金銀比価により1907年以降、銀の量目を減らした1ペソ銀貨が発行されます。
写真左、1903年〜1906年発行の10 CENTAVOS
写真右、1907年〜1935年発行の10 CENTAVOS
写真左、1903年〜1906年発行の20 CENTAVOS
写真右、1907年〜1929年発行の20 CENTAVOS
写真左、1903年〜1906年発行の50 CENTAVOS
写真右、1907年〜1921年発行の50 CENTAVOS
写真左、1903年〜1906年発行の1 PESO
写真右、1907年〜1912年発行の1 PESO
- 海峡植民地(Straits Settlements)ドル
- 海峡植民地(Straits Settlements)は、1826年に、ペナン、マラッカ、シンガポールの3つの地域を統合して誕生したイギリスの植民地です。以後、1886年からココス島とクリスマス島が、1906年にラブアン島が編入されます。当初は東インド会社の管轄下でしたが、1867年にイギリス植民地省の管轄に移され、その後、英領マラヤ時代を経て、1963年にマレーシア連邦の一部となります。1965年、シンガポールは連邦から離脱し独立国となります。
1903年からイギリスは海峡植民地との交易専用に独自の貿易銀貨を発行し、従来のイギリス貿易銀貨やメキシコ・ドルの輸入が禁止されます。1904年にはイギリス貿易銀貨やメキシコ・ドルの通用が停止され、1906年には1ドル=2シリング4ペンスとイギリス本国通貨に対し固定相場制となります。1903年から1906年には世界の貿易銀貨と同サイズの大型1ドル銀貨でしたが、金銀比価により1907年以降、銀の量目を減らした1ドル銀貨が発行され、1919年、1920年、1925年、1926年にはさらに銀の量目が減らされた1ドル銀貨が発行されます。製造はインドのボンベイおよびカルカッタでした。
写真左、1903年〜1906年発行の1 DOLLAR
写真右、1907年〜1918年発行の1 DOLLAR
- 海峡植民地(Straits Settlements)は、1826年に、ペナン、マラッカ、シンガポールの3つの地域を統合して誕生したイギリスの植民地です。以後、1886年からココス島とクリスマス島が、1906年にラブアン島が編入されます。当初は東インド会社の管轄下でしたが、1867年にイギリス植民地省の管轄に移され、その後、英領マラヤ時代を経て、1963年にマレーシア連邦の一部となります。1965年、シンガポールは連邦から離脱し独立国となります。