フィリピンの貿易銀貨 (Philippines Trade dollar)
1914年 壹圓
1914年、1919年〜1921年に発行、材質(Material):89%銀(Silver)、直径(Diameter):38mm、重量(Weight):26.9g。
左 「中華民国三年」 袁世凱。
右 「壹圓」。
袁世凱(えんせいがい)は、1859年(咸豊9年)9月16日清国河南省で誕生します。 1881年に、は李鴻章(りこうしょう)の軍入り朝鮮に渡ります。その後任地で発生した壬午事変(じんごじへん)、甲申政変(こうしんせいへん)で鎮圧に貢献し、朝鮮の内政にも干渉できるほどの権限を持ちます。
- 1890年(光緒15年)に、広東造幣廠が設立され、メキシコ・ドルとほぼ等しい量目26.86グラム、品位90%の光緒元寶七銭二分が発行されるようになります。これは中央政府が発行するものではなく、各省政府による発行でした。七銭二分は日本の七匁二分に相当し、額面ではなく量目を表すものでした。
- 1894年、朝鮮の民衆による、甲午(こうご)農民戦争が起き朝鮮は清に軍の派遣を要請し、日本も対抗して派兵し、これにより日清戦争が勃発します。
- 1911年10月10日、共進会と同学会の指導下、武昌蜂起(ぶしょうきぎ)が起き、独立を訴える辛亥革命(しんがいかくめい)に発展し、清朝は滅びます。
- 1911年12月25日、上海に帰国し、29日に臨時大総統選挙が実施され孫文が、中華民国初代臨時大総統に選出されます。しかし、孫文は革命政府を維持するため、宣統帝の退位と引き換えに袁世凱に総統の座を譲ります。
- 1914年(中華民国3年)の国幣条例により、袁世凱の肖像と壹圓の文字を刻んだ量目七銭二分(26.86グラム)、品位90%の銀幣が発行されます。
実際は、量目26.52g、品位89%
- 1916年、袁世凱は皇帝に即位し国号を「中華帝国」に改めるなどの独裁が始まると各地で内乱が起き、袁世凱は退位します。 1919年に中国国民党を結成して国共合作に尽力しますが、1925年、「革命尚未成功、同志仍須努力(革命未だならず)」の遺言を残し北京で亡くなり、南京に葬られました。
- 1933年(中華民国22年)3月に国民政府は廃両改元を布告し、4月6日に秤量貨幣の通貨単位としての銀両は廃止され、銀元が導入されます。上海に国民政府中央造幣廠が設立され、銀本位制を定めた銀本位幣鋳造条例に基づく、孫文の肖像と壹圓の文字を刻んだ量目0.715両(26.67g)、品位88%の壹圓銀幣が発行されます。
- 1935年(中華民国24年)11月4日、国民政府は幣制改革を断行し、銀本位制は廃止され管理通貨制度となり、法幣一元=イギリス1シリング2.5ペンスの固定相場制となります。
- 1937年(中華民国26年)から1945年(中華民国34年)までの日中戦争後、国共内戦が勃発し、中華民国政府の中国国民党軍と中国共産党との間の内戦が起こります。
- 1949年(中華民国38年)に中華民国は、中国共産党との内戦において崩壊状態となり、中華人民共和国が成立します。中国国民党政府は12月7日に台湾島に遷都し、台湾地域及び金馬地区などのみを統治する国家として再編成され、中国を統治する唯一の正統な国家としての権利を主張する二つの政府が並立する事となりま。
- 1971年に、国際連合で中華人民共和国が「中国」の代表権を取得してからは多くの国が中華人民共和国を「正統な中国政府」として承認しています。日本政府は、1972年以降は中華民国を国家として承認していないため、公式には「中華人民共和国内の台湾地域」として中華民国を扱っています。 中華民国(台湾)の故宮文物
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