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旅の話題 (Topics of travel)

イムジン河

臨津江臨津江、北ではリムジンガン(림진강)、南ではイムジンガン(임진강)と発音します。臨津江は、朝鮮半島の中西部の河川で、北朝鮮北部の山地に源流部があります。下流では、軍事境界線に沿うように流れ、黄海にそそぎ込む直前で、漢江に合流しています。延長は254kmで、流域は稲作地帯となっているそうです。臨津江は、非武装地帯付近を流れているので韓国側からみれば南北分断を象徴する川となっています。漢江は、朝鮮半島中央部の河川で、半島を西に横断して黄海にそそぎ込むんでいます。本流の長さは514km。韓国の主要な農業地帯をとおり、下流には金浦平野をつくり,京仁工業地帯や金浦郡を中心とした穀倉地帯を発達させています。

序論(Introduction)

臨津江

1957年、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で、朴世永(パク・セヨン)作詞、高宗漢(コ・ジョンハン)作曲によって臨津江が発表されました。この歌は、38度線によって分断された民族の、国家統一という思いが込められた歌でした。日本では1968年に、松山猛が原曲を参考に作詞し、ザ・フォーク・クルセダーズが歌った「イムジン河」で知られていて、発売が禁止になった曲としても知られています。
作詞家、朴世永(박세영)パク・セヨンは、1902年に韓国京畿道高陽郡で生まれ、戦前には朝鮮プロレタリア芸術家同盟に加入して、文学活動を行いましたが、1946年には北朝鮮に移って活動しています。 1947年には朝鮮民主主義人民共和国の国歌の作詞を行いました。 臨津江(림진강)リムジンガンの歌は1950年代に作詞され、1957年に高宗漢(고종한)コ・ジョンハンによって作曲され、北朝鮮、そして、日本でも朝鮮総連の人々や、朝鮮学校の学生の間で民族の歌としても歌われました。また、2005年には映画「パッチギ」の挿入歌として使われています。
1945年以降、共産主義を支持して、南から北に移っていった人々は越北者と呼ばれ、韓国では、越北者の作詞作曲した歌は禁止されていて、朴世永もその越北者でした。しかし、現在では、韓国人の歌手もこの歌を歌うようになりましたが、2番の歌詞の、「荒れた野原では草の根を掘っているが」という歌詞が、北は豊かだが、南は貧しいという反発があり、オリジナルの2番の歌詞はところによっては歌われないことが多くあるそうです。
臨津江(림진강)リムジンガン
朴世永(박세영)パク・セヨン:作詞
高宗漢(コ・ジョンハン)作曲


림진강 맑은 물은 흘러흘러 내리고
물새들 자유로이 넘나들며 날건만
내고향 남쪽땅 가고파도 못가니
림진강 흐름아 원한싣고 흐르냐


강건너 갈밭에선 갈새만 슬피울고
메마른 들판에선 풀뿌리를 캐건만
협동벌 이삭마다 물결우에 춤추니
림진강 흐름을 가르지를 못하리라

내고향 북녁땅 가고파도 못가니
림진강 흐름을 가르지를 못하리라


臨仁江の清き水はとうとうと流れる
水鳥自由に行ったり来たり飛んでいるけれど
我が祖国南の地行きたくても行けない
臨仁江流れよ、恨みを乗せて流れるのか


河越えて葦の茂みでは鳥たちが悲しく鳴き
乾いた野原では草の根を掘るけど
共同農場の稲、波の上で踊るよ
臨仁江の流れを遮ることは出来ない

我が祖国北の地行きたくても行けない
臨仁江の流れを遮ることは出来ない


松山猛訳詞、フォーククルセダーズによって歌われたイムジン河

松山猛:訳詞
加藤和彦:編曲


イムジン河水きよく とうとうとながる
みずどり自由に むらがりとびかうよ
我が祖国南の地 おもいははるか
イムジン河水きよく とうとうとながる


北の大地から 南の空へ
飛びゆく鳥よ 自由の使者よ
誰が祖国を二つに 分けてしまったの
誰が祖国を 分けてしまったの


イムジン河空遠く 虹よかかっておくれ
河よ思いを 伝えておくれ
ふるさとをいつまでも 忘れはしない
イムジン河水きよく とうとうとながる