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機械遺産たま電気自動車

機械遺産は、2007年6月、日本機械学会の設立110周年を記念して設けられた制度です。国内の機械の中でも特に我々の生活に大きな影響を与えた機械・機器、関連システム、工場、設計仕様書、教科書などを記念物として認定します。「機械遺産」の選定基準は社会発展に貢献した機械であること、現存していて実際に動かせる状態であることです。認定後は企業などが所有を継続できなくなった場合に国立科学博物館や地方公共団体への移管の仲介を行い、遺産の処分や散逸を防ぐとしています。

内容(Contents)

1947年(昭和22年)、東京都立川市の陸軍機専用メーカー立川飛行機は、連合軍による工場接収により航空機製造ができなくなります。そこで、失業した従業員約200名により東京電気自動車が設立され、最初の市販形電気自動車を発表します。工場の地名「多摩」にちなみ「たま」号と命名されます。木骨鉄板張りの構造で、電動機は36ボルト120アンペア、蓄電池は40ボルト162アンペアのものを二分割して車体下部に搭載し、最高速度35km/h、1充電での走行距離は65kmでした。1949年(昭和24年)11月、府中から三鷹に移転し、社名を「たま電気自動車」とします。 同年に発売された「たまセニア」号は、木骨ボディから全鋼製ボディにマイナーチェンジされ、最高速度55km/h、航続距離200kmで当時の日本製電気自動車最高水準の性能でした。 これは現代の電気自動車と同等の航続性能でした。 しかし、1950年(昭和25年)の朝鮮戦争勃発に伴う特需で、バッテリーの市場価格が高騰し、一連の開発は中止され、1951年以降ガソリン自動車開発に転進します。 1951年(昭和26年)に、社名を「たま自動車」とし、1952年(昭和27年)ガソリン車として開発した初めてのモデル「プリンス」が発売され、社名を「プリンス自動車工業」とします。 その後、 1965年(昭和40年)に日産自動車と合併します。
機械遺産たま電気自動車

(Picture from Wikipedia)