Runの話題(Topic of Run)
2007年F1日本グランプリ (2007 F1 Japan GP)
F1世界選手権(FIA Formula One World Championship)は、国際自動車連盟(FIA)が主催する自動車レースで、1人乗りフォーミュラカーで行われています。 1950年にイギリスのシルバーストン・サーキット(Silverstone Circuit)で始まり、ヨーロッパを中心に世界各国を転戦し、各レース毎の順位によって与えられるチャンピオンシップ・ポイント(Championship Point)の総計によってチャンピオンを決定します。内容(Contents)
1976年 F1世界選手権・イン・ジャパン 富士スピードウェイ
日本で初めてのF1シリーズ戦は、1976年に、静岡県駿東郡小山町の富士スピードウェイで開催されました。全日本F2000選手権最終戦『日本グランプリ』と重なり、大会名は「F1日本グランプリ」ではなく「F1世界選手権・イン・ジャパン」と命名されました。スタート直後は大雨のため、レースを中断するドライバーもいましたが、途中から雨が上がり、タイヤ交換などで順位が激しく入れ替わり、混乱した展開となりました。
結果、優勝はロータスのマリオ・アンドレッティ、9位にサーティースの高原敬武、11位にコジマの長谷見昌弘、19位にティレルの星野一義となりました。
写真は優勝したロータス。
写真は11位のコジマ。
2007年 F1日本グランプリ
富士スピードウェイで行われるF1日本グランプリは、1977年以来30年ぶり3回目となります。1978年から2006年までのF1日本GPは、鈴鹿サーキットで行われていましたが、2007年、2008年は富士スピードウェイで行われることとなり、2009年からは、鈴鹿サーキットと交互開催になる予定と言われています。レースは、雨のため、セーフティカーの先導でスタートすることとなりました。レースは20周目にスタート。直後に、ブルツ(Wurz)がスピンをし、マッサ(Massa)と接触。28周を過ぎ、ハミルトン(Hamilton)、アロンソ(Alonso)がピットへ向かい、コースに戻ったハミルトン(Hamilton)とクビサ(Kubica)が接触。アロンソ(Alonso)とベッテル(Vet)にも接触があり、アロンソ(Alonso)はマシンを破損しますが、そのまま走行を続けました。
42周目、アロンソ(Alonso)がヘアピン手前で単独でウォールにクラッシュ。46周目、ウェーバー(Webber)とベッテル(Vet)が接触し、両者リタイア。49周目にレースが再開され、トップのハミルトン(Hamilton)が後続を引き離しそのままフィニッシュし、マクラーレン・メルセデスが勝利しました。
決勝結果
順位 | ドライバー | チーム | エンジン | 周回 | 時間 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | L.ハミルトン | マクラーレン | メルセデス | 67 | 2:00'34.579 | |
2 | H.コヴァライネン | ルノー | ルノー | 67 | 2:00'42.956 | |
3 | K.ライコネン | フェラーリ | フェラーリ | 67 | 2:00'44.057 | |
12 | 山本左近 | スパイカー | フェラーリ | 66 | 2:00'54.187 | |
15 | 佐藤琢磨 | スーパーアグリ | ホンダ | 65 | 2:00'21.480 |