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日本グランプリ (Japan Grand Prix)

日本グランプリは、市販車を改造したレースで、一般車のツーリングカー部門6クラス、スポーツカー部門3クラスと海外招待選手による国際スポーツカー・レースでした。 第1回日本グランプリは、1963年に鈴鹿サーキットで行われ、トヨタがパブリカ、コロナ、クラウンで、3クラスを制覇し、国際スポーツカーレースでは、ロータス23、ジャガーEタイプ、フェラーリ250GT、アストン・マーチンDB4、ポルシェ・カレラなどがエントリーし、イギリスのピーター・ウォー(Peter Warr)がロータス23コスワースで優勝します。

内容(Contents)

  • 1963年 第1回日本グランプリ 鈴鹿サーキット
    • ツーリングカー部門の優勝車
      T1(排気量400cc未満):望月修/スズキ・スズライトフロンテ
      T2(排気量700cc未満):深谷文郎/トヨタ・パブリカ
      T3(排気量1000cc未満):立原義次/日野・コンテッサ
      T4(排気量1300cc未満):鈴木義一/DKW
      T5(排気量1600cc未満):式場荘吉/トヨタ・コロナ
      T6(排気量1600cc以上):多賀弘明/トヨタ・クラウン
    • 国内スポーツカー部門の優勝車
      B1(排気量1300cc未満):井口のぼる/DKW1000
      B2(排気量2000cc未満):田原源一郎/日産・フェアレディ1500
      B3(排気量2000cc以上):横山達/ジャガー・Eタイプ
    • 国際スポーツカー優勝車
      A1(レーシングスポーツ)ピーター・ウォー/ロータス23コスワース
      A2(GT2000cc未満)H.フォン・ハンシュタイン/ポルシェカレラ2
      A3(GT2000cc以上)ピアー・デュメ/フェラーリ250GT
  • 1964年 第2回日本グランプリ 鈴鹿サーキット
    • 第2回日本グランプリは、1964年5月3日に鈴鹿サーキットで行われました。一般車のツーリングカー部門6クラス、GTカー部門2クラスと海外招待選手による小型フォーミュラカー・レースでした。GT2で、3位からスタートした式場壮吉(しきばそうきち)のポルシェ904がプリンス・スカイラインGTを抜きトップに立ちます。しかし、7周目、突然スローダウンした式場のポルシェ904が生沢徹のプリンス・スカイラインGT、41号車に一時抜かれてしまいます。当時世界最高と言われたポルシェ904を、スカイラインが抜いたことから、スカイライン伝説が生まれることとなります。しかし式場は生沢を再び抜き返し、その後は完全に独走状態で優勝しました。2位は、砂子義一のプリンス・スカイラインGT、3位は、生沢徹のプリンス・スカイラインGTでした。
      スカイライン2000GT出場したスカイラインは、ノーズを延長してグロリア用の2000ccエンジンを搭載したプリンス・スカイライン2000GTでした。写真は2位に入賞した砂子義一の39号車。

      (Picture from http://www.jsae.or.jp)

    • ツーリングカー部門の優勝車
      T1(排気量400cc未満):大久保力/スバル360
      T2(排気量700cc未満):浅野剛男/トヨタ・パブリカ
      T3(排気量1000cc未満):加藤爽平/三菱・コルト1000
      T4(排気量1300cc未満):田中健二郎/日産・ブルーバードSS
      T5(排気量1600cc未満):生沢徹/日産・スカイライン1500
      T6(排気量1600cc以上):大石秀夫/プリンス・グロリア
    • GTカー部門の優勝車
      GT1(排気量1300cc未満):ロニー・バックナム/ホンダS600 GT2(排気量2000cc未満):式場壮吉/ポルシェ904GTS
      GT3(排気量2000cc以上):安田銀治/ジャガーE
    • 小型フォーミュラカー・レース優勝車
      ミカエル・ナイト/ブラバムBT6コスワース
  • 1965年 中止
  • 1966年 第3回日本グランプリ 富士スピードウェイ
    • GPクラスはプリンスのR380と、滝進太郎のポルシェ906の争いとなりました。レースは生沢徹のプリンスR380が滝のブロックにまわり、砂子義一のプリンスR380が優勝しました。滝の給油時間が1分に対し、プリンスの給油時間は15秒とプリンスの燃料補給が早かったこともあります。
      R3801964年、プリンスはプロトタイプレーシングカーとしてR380を完成し、1965年に茨城県谷田部の自動車高速試験場で、7種目の国内速度記録を樹立します。写真は優勝した砂子義一の11号車。

      (Picture from http://www.jsae.or.jp)

      TSクラス優勝:須田祐弘/プリンス・スカイラインGT
      GTクラス優勝:高橋国光/日産・フェアレディ
      GPクラス優勝:砂子義一/プリンス・R380
  • 1967年 第4回日本グランプリ 富士スピードウェイ
    • プリンス自動車と日産自動車の合併により、ワークスドライバーの過剰で、プリンスを離脱していた生沢徹は、日産から日本グランプリの出場を断られ、三和自動車がエントリーした3台のポルシェ906のドライバーとなり、滝進太郎、酒井正と共に出場することとなったそうです。
      ポルシェ906生沢は、日本ペプシ・コーラやアパレルのVANジャケットなどがスポンサーとなり、式場壮吉のシキバ・エンタープライズも生沢の援助をすることとなり、日産の高橋国光の日産R380-2を制して優勝します。

      (Picture from http://www.vistanet.co.jp)

      TSクラス優勝:横山達/日産・スカイラインGT
      GTクラス優勝:黒沢元治/日産・フェアレディ2000
      GPクラス優勝:生沢徹/ポルシェ906
  • 1968年 '68日本グランプリ
    • 日産はシボレー製5.5LV8エンジンを搭載した車R381、滝進太郎のタキ・レーシングチームは、ローラT70、トヨタは、3Lのトヨタ7を出し、「TNTの激突」といわれました。レースは北野元の日産R381が優勝しました。
      総合1位 クラス4 1位:北野元/ニッサンR381
      総合2位 クラス2 1位:生沢徹/ポルシェ・カレラ10
      総合8位 クラス3 1位:大坪善男/トヨタ7
      総合10位 クラス1 1位:吉田隆郎/ダイハツP5
  • 1969年 '69日本グランプリ
    • JAFが主催するグランプリレースが、春秋の2大会となり、春のフォーミュラカーによる「JAFグランプリ」と、秋のスポーツ/プロトタイプ/2座席レーシングカーによる、「日本グランプリ」となりました。
      日産の6L・V12DOHCの500psエンジンを搭載したR382と、タキ・レーシングチームの4.5Lのポルシェ917の争いとなりましたが、黒沢元治が、R382で優勝。日産は1、2位を独占します。プロトタイプスポーツカーによる最後のレースとなります。
      総合1位 クラス5 1位:黒沢元治/砂子義一 ニッサンR382
      総合7位 クラス4 1位:ハンス・ヘルマン/田中健二郎 ポルシェ908
      総合8位 クラス3 1位:風戸裕/長谷川弘 ポルシェ910
      総合9位 クラス2 1位 高野ルイ/吉田隆郎 ロータス47GT
  • 1970年 '70日本グランプリは中止
  • 1970年5月3日、'70JAFグランプリ 富士スピードウエイ
    • 生沢徹選手が、選手宣誓を拒否したことで、話題になった大会でした。
      レースは、ジャッキー・スチュワートのブラバムBT30/FVCが優勝。予選2位の生沢徹の三菱コルトF2D/R39は、マシントラブルでリタイヤ。
      '70JAFグランプリ・レース結果
      総合1位 クラス2 1位:J.スチュワート/ブラバムBT30
      総合3位 クラス1 1位:永松邦臣/コルトF2D/R39
  • 1971年 '71日本グランプリ
    • 日本グランプリはフォーミュラカーレースとして再スタートし、三菱が開発した、2L・280PS/9000rpmのコルトF2000が1、2位を独占しました。
      総合1位 クラス2 1位:永松邦臣/コルトF2000
      総合6位 クラス1 1位:風戸裕/ブラバムBT30/R39
      フィスコクラブの主催で、「富士グランチャンピオンシリーズ」が開幕します。
  • 1972年 '72日本グランプリ
    • ジョン・サーティースが、サーティーズTS15で優勝。
  • 1973年 '73日本グランプリ
    • 黒沢元治が、マーチ722BMWで優勝。全日本F2000選手権シリーズの1戦として開催。
  • 1974年 '74日本グランプリ 中止
  • 1975年 '75日本グランプリ
    • 長谷見昌弘が、スリーボンドマーチで優勝。
  • 1976年 '76日本グランプリ
    • ジャック・ラフィットが、シェフ゛ロンB35BMWで優勝。
      日本で初めてのF1シリーズ戦が富士スピードウェイで開催されましたが、全日本F2000選手権最終戦『日本グランプリ』と重なり、F1日本グランプリではなく『F1世界選手権・イン・ジャパン』と命名されました。
      ロータス77フォード写真は、第1回F1日本GPで、優勝したマリオ・アンドレッティ(Mario Gabriele Andretti)の、ロータス77フォード