フィリピンの歴史(History of the Philippines)
ノリ・メ・タンヘレ(Noli Me Tangere)
1887年、ホセ・リサール(Jose Rizal)は「ノリ・メ・タンヘレ(Noli Me Tangere)」、「我に触れるな」をベルリンで公刊し、後の1891年ベルギーのヘント(Ghent)で彼の第2の小説「エル・フィリブステリスモ」(El Filibusterismo)「反逆」を出版します。両方ともスペイン語で書かれています。スペイン圧政下に苦しむ植民地、フィリピンの現状が克明に描き出されていて、フィリピン人の独立への機運を高めたと言われています。写真は マニラ市(Manila City)、サンチャゴ要塞(Fort Santiago)にあるリサール記念館(Rizal Shrine) の「ノリ・メ・タンヘレ(Noli Me Tangere)」です。内容(Contents)
ノリ・メ・タンヘレ主要人物
クリソストモ・イバルラ
少年のとき、ヨーロッパに遊学、数年滞在。この話の始まるとき帰国する。父はフィリピン生まれのスペイン人で、サン・ディエゴの大地主、母は現地人。父は子の遊学中に非業の死をとげる。クリソストモは、帰国後すぐ祖国の改善のために働き始めるが、修道会の術におち、ムホン人として逃亡中、ゆくえも生死も不明となる。
ドン・サンチャゴ・デ・ロス・サントス(カピタン・チャゴ)
一代で産をなした現地人。サン・ディエゴに土地を買い、イパルラの父と親交を結ぶ。美しいマリア・クララはそのひとり娘で、クリソストモと早く婚約関係にある。
エリアス(紳頭)
イパルラの祖先の中傷によって、永遠の不幸に落ちこんだ家族の生きのこり。一度イパルラに命を助けられてから、その恨みを水に流し、かれのために誠意をもって味方する。とらわれのイパルラを脱獄させ、ともにバイ湖で生死不明となる。
ダーマソ師
フランシスコ会修道士、サン・ディエゴの前司祭。クリソストモの父を迫害し、死後も迫害を続ける。老齢にもかかわらず健康で、下の者をあまりなぐるので、こん棒神父のあだ名がある。マリア・クララの教父。がん迷独善で、修道会士の一面をえぐりだしたように描かれている。
サルピー師
フランシスコ会修道士、サン・ディエゴの前司祭。前者の後任としてサン・ディエゴに来た。ことば少なく、思索にふけりがち。従って陰険きを感じる。イパルラを陥れるいわゆる革命は、この司祭を通じてたくらまれた疑いをにおわせる。
シーサー
およそフィリピン的不幸を一身に体現した妻。夫は「革命」で殺される。むすこのパシリョ、クリスピンの兄弟は侍祭で弟はぬすみのぬれぎぬをきせられて、司祭に青め殺きれる。兄は夜中に教会をぬけ出して、自衛隊に打たれ負傷する。シーサはついに発狂する。
その他エスパダニヤ医師とドニヤ・ビクトリナ、自衛隊少尉く無名)とドニヤ・コンソラシオン。この二組の奇妙な夫婦ほ、つねに読者を笑わせながら、ピエロ的狂言回しをたくみに勤める。
わが祖国に
人類の病気の歴史に、ひとつのがんが記録されている。 それはきわめて悪性のものであって、ちょっとでもそれに 触れると、その刺激が、はなはだしく鋭い痛みを与える。 さて、わたしが近代文明のただなかにあって、あるいほお まえの思い出にふけろうと思い、または他の国々と比較し ようと思って、なんどおまえの姿を思い起こそうとしたこ とだろう。しかしそのたびごとにわたしの前にあらわれた なつかしいおまえは、いつもこれと同じような社会的なが んに苦しんでいる姿で目の前に現れるのだった。
わたしたちのものであるおまえの健康をこい願うがゆえ に、また最善の治療法をさがしもとめるために、わたしは おまえの病気に対して、古代人のやったやり方を、おまえ といっしょにやろうと思う。つまり、神に祈りに来る人々 が、その療法を教えてくれるように、病気を神殿の階段に さらけ出すのである。
そこでこの目的のために、おまえの現状を、なんの手か げんもせずに、忠実にここに描き出してみょうと思う。わ たしは真実のためにはすべてを、自尊心でさえ犠牲にして、 この病をおおうベールをもちあげることにしよう。なぜな ら、わたしもまたおまえの子として、おまえの欠点と弱点 とのために苦しまなければならないからである。
ヨーロッパ、1886年 ホセ・リサール概要
ノリ・メ・タンヘレ
主人公はヨーロッパで7年間勉強して帰国したクリストモ・イバルラという青年で、父 はスペイン人、母は現地人という設定。彼にはマリア・クララという美しい許嫁がいて、イバルラの帰国を祝って彼女の父親である富裕な現地人カピタン・チャゴの家で開かれる宴会の場面から始まる。
フランシスコ会の修道士ダーマソ神父はイバルラの父を迫害し、彼を獄中で死に追いや り、その墓を暴いて遺体を異教徒の墓地に放り込んだという男で、マリア・クララを娘のように可愛がっていると同時にイバルラを徹底的に嫌っている。イバルラはまもなく父の死の真相を知り、大きなショックを受ける。ダーマソ神父の後継者であるサルビー神父は陰湿な青年で、密かにマリア・クララに思いを寄せ、イバルラに敵意を抱いている。現地人の小学校教師からフィリピンの教育のみじめな現状について聞かされた彼は、自ら学校を設立して教育の改革を志す。彼が学校を作る意図を老哲学者タシオに打ち明け、相談する場面はこの小説の前半の重要な部分である。タシオは知恵深い人物だが周囲の社会からは変人とみなされている。彼はイバルラに共感しながらも、彼を待ち受けるであろう社会の様々な勢力の反対と困難について述べ、思い止まるよう説得するが、イバルラの決心は変わらない。
この小説の鍵となるもう一人の人物はエリアスという現地人で、不幸な過去を持ち、山賊たちとつながりを持っている。彼は仲間たちから反逆を勧められるが、何とか合法的な社会変革を目指し、イバルラに接触する。エリアスは彼に、スペイン政府に社会組織の改革を訴えるよう懇願するが、イバルラはそれを拒否する。
ある日、革命の企てが起こり、その首謀者としてイバルラの名前が挙がる。彼は一夜に して忌むべき社会の敵となり、犯罪者として獄中の人となる。イバルラの容疑を決定付けたのは、彼がマリア・クララに宛てた一通の手紙であった。
エリアスはイバルラに、彼を陥れる陰謀があることをあらかじめ警告していた。やがて 彼はイバルラが自分の家族を悲劇に陥れる原因となった人物の子孫であることを知るが、エリアスは一度命を救ってもらった恩義から、獄中のイバルラを脱出させる。エリアスに救出されたイバルラは、新しい婚約者との結婚を目前に控えたマリア・クララに別れを告げにいく。彼の疑惑を決定づける手紙を当局に渡したマリアに最後の許しを与えようとするイバルラに対して、マリアは彼女の知った衝撃的な秘密を打ち明ける。
彼女の真の父親はカピタン・チャゴではなく、ダーマソ神父であった。また、マリアを 生んですぐに死んだ母親がマリアの出生の秘密について書いた手紙と引換えに、イバルラの手紙を渡せとマリアに迫ったのはサルビー神父だった。ダーマソ神父とカピタン・チャゴ、そしてイバルラを傷つけることはできないと考えたマリアは苦悩あまり病床の人となり、育ての親であるカピタン・チャゴの名誉のために、泣く泣く新しい婚約者との結婚を承知したのであった。
彼女に別れを告げたイバルラは、今からは社会の癌に立ち向かう反逆者として生きる決 意をエリアスに打ち明ける。エリアスは彼の決意を評価しつつも、決して無益な流血を招かぬよう忠告する。やがて二人の乗る舟は追手に見つかり、エリアスは追手をまくためにイバルラを残して川に飛び込む。
物語は疲れ切った男が自分の死体を燃やしてくれと一人の少年に頼み、息を引き取る所で終わる。マリア・クララは修道院に入って尼になるが、そこでサルビー神父の迫害を受けていることが最後に暗示されている。
この物語は単なるイバルラという個人の悲劇ではなく、フィリピンという民族の背負う苦難と、スペイン植民地支配の悪を象徴する修道会の姿をリアルに描き出している。小説の中でフィリピン人の悲劇を一身に体現していると言えるのがシータという女性である。彼女の夫は賭博に明け暮れ、ろくに家にも帰らず、二人の子供は教会で働いて小遣いを稼いでいる。ある日子供たちは盗みの疑いをかけられ、司祭の弟子たちにリンチされる。子供が帰って来ないことを心配して教会に行ったシータには冷笑が浴びせられ、自衛隊に捕らえられて町中を引きずり回される。子供たちが責め殺されたらしいと知ったシータはついに発狂する。
シータの息子バシリョは、リンチから逃れて山の中に入り、ある老人に拾われて暮らしていた。クリスマス・イブの日、母親に会おうと街に出かけたバシリョは、訳のわからぬことを言いながらさまよい歩いているシータを見つける。バシリョが声をかけようとするとシータは逃げだした。やっと追いついた時、彼はシータの腕の中で気を失った。彼女の脳細胞の最後のきらめきでバシリョを認めたシータは、そのまま死んでしまう。やがて目覚め、母親の死体の前で泣き崩れるバシリョの前に謎の男が現れて前述の願いを告げたのであった。
「ノリ」の約4年後に出版された「エル・フィリブステリスモ(反逆・暴力・革命)」 は、「ノリ」には見られなかったある種の暗さ、深刻さがある。物語自体は「ノリ」の続
編で、主人公の宝石商シモウンは「ノリ」の主人公クリストモ・イバルラの13年後の姿である。13年前、理想と希望を胸に抱いてヨーロッパからフィリピンに帰ってきた青年クリストモ・イバルラは、今や悪徳と憎悪を促進することによって腐敗した社会の破滅を早めようと企む非情なテロリスト、シモウンに変身した。
彼はエリアスの最後を見とった後、隠してあった財産を元手にして商売を始め、キューバに渡って悪徳と裏切りによって莫大な富を築いた。やがてフィリピン総督となるある有力者の弱みを握ったことから、彼を操ることで社会に強い影響を与えることができるようになった。
シモウンの目指すものは富でも地位でも名誉でもなく、フィリピンをスペインの奴隷の地位から解放し、悪しき支配者たちを破滅させることである。彼はその目的のために、支配層の堕落を促進させ、スペイン植民地政府を内部から崩壊させることを企て、同時に現地人の反逆者たちを組織して暴力革命を画策している。また、彼の最大の目的は、修道院でサルビー神父に迫害されているマリア・クララを救い出すことである。
「ノリ」の最後に登場した少年バシリョはあの後カピタン・チャゴの養子になり、今や将来を嘱望される医学生となった。バシリョは、彼の母の墓(それはエリアスの墓でもある)の前に佇むシモウンの姿を見て、それがクリストモ・イバルラであることを知る。イバルラもバシリョにだけは彼の本心を明かし、彼の計画した反乱の企てに協力するよう要請する。
フィリピンの有力者が一同に会する大パーティーを催し、その席で蝋燭につないだダイナマイトを爆発させるというのがシモウン(イバルラ)の計画であった。その混乱に乗じて彼の組織した反乱軍を蜂起させ、一気に権力奪取を狙おうと言うのである。しかし、シモウンは権力を奪った後の社会的改革についての明確なビジョンは持っていない。彼の動機の根本は社会への憎悪であり、権力者たちへの復讐心である。従って彼は革命家というよりは破滅的テロリストと呼ぶにふさわしい。
計画実行の数日前にシモウンはバシリョから、マリア・クララが修道院の中で死んだことを知らされ、打ちのめされる。そして反乱計画も結局バシリョの友人が寸前の所で挫折させた。完全な敗北者となったシモウンは疲れ切って−−−−−−−−−−−−−−
(岩崎玄 訳『ノリ・メ・タンヘレ』より)