pichori


序論(Introduction)

ル・マン 24時間レースは、フランス西部に位置するル・マン(Le Mans)近郊で行われるカーレースで、24時間でどれだけサーキットを周回できるかを競います。 1923年に初めて行われ、毎年6月の初めから中頃に開催されています。競技は、ル・マン市の全長8.469マイル(13.629km)のサルト・サーキット(Circuit de la Sarthe)の周回コースで行われます。殆どは一般道で、スタート地点やピットレーンなどは、ブガッティ・サーキット(Bugatti Circuit)の一部を流用して行われます。
マツダ787B1991年6月23日、マツダ787Bがルマン24時間耐久レースで、日本のメーカーとして初めて優勝しました。また、レシプロエンジン以外を搭載した車としても初の優勝でした。
1991年は、NA3.5リッター以外は燃料使用量制限が課せられ、バンケルエンジンやターボエンジンはさらに、ウエイトハンディーも課せられたレースとなっていました。1992年からはレギュレーションの変更によりバンケルエンジンはルマン24時間耐久レースに使用出来なくなります、そんな条件の中で優勝したマツダ787Bは世界中の注目を集めた車でした。
1991年のMAZDAは、787Bが2台、787が1台がエントリーして3台とも完走しています。優勝 787b No55、6位 787b No18、8位 787 No56。
マツダ・ロータリーエンジンR26B787Bに搭載されていた26Bマツダ・ロータリーエンジンです。
R26B型4ローターは、新しい設計によるユニットで、アペックスシールの改良、1ローター3プラグ、吸気にモーターを使用してファネルの長さを段階的に変化させる可変官長システムが取り付けられたバンケルエンジンで700psを達成するユニットです。
マツダ・ロータリーエンジンR26B スペック
  • 総排気量:654cc×4
  • 最大出力:700ps/9,000rpm
  • 最大トルク:62kg-m以上/6,500rpm
  • 燃料供給装置:EGI

(PictuRE from Wikipedia)

内容(Contents)

栄光の「マツダ787B」20年ぶりルマンへ デモ走行で雄姿再び
まる1日、24時間かけてどれだけ長い距離を走れるかを競う世界最高峰の自動車耐久レース「ルマン24時間レース」。90年近い歴史を持つ伝統の大会だが、日本勢が優勝を飾ったのは後にも先にも1度だけ。1991年(平成3年)の覇者、オレンジとグリーンの“チャージカラー”に彩られた「マツダ787B」だ。あれから20年。栄光のマシンが今年6月、同じ大舞台で再び雄姿を披露することになり、山口県美祢市のマツダ美祢自動車試験場でシェイクダウン(走行性能の最終確認)が行われた。
 フランス・ルマン市にあるサルトサーキット。自動車の24時間耐久レースは毎年6月、常設サーキットの一部と公道を組み合わせた全長約13キロのコースで開催。威信を背負った大手メーカーから手作りのプライベーターにいたるまで、大小さまざまな規模のチームが栄冠を目指し、しのぎを削る。
 初開催は1923年。その後、第2次大戦の影響などで中止もあったが、自動車の発展とともに歴史を重ね、ポルシェやアウディ、フェラーリなどそうそうたるメーカーが過酷な戦いを制している。求められるのは、車の一発の速さだけでなく、スタッフも含めた総合力だ。
 マツダのルマン制覇は、日本勢としてだけでなくロータリーエンジン(RE)搭載車としても唯一の快挙。また91年は、当時の参加規定変更に伴ってRE車が出場できた最後の年(その後、規定変更に伴い出場可能になった)という“ドラマ”も加わり、787Bに胸を熱くするモーターファンは今も少なくない。
そんな悲願の優勝から20年の節目を迎えた今年の4月、レースの主催団体「フランス西部自動車クラブ」(ACO)から「本戦前に行われる恒例のデモンストレーション走行に787Bを招待したい」というオファーがマツダに届いた。今回、声がかかったのは787Bのみで、1台だけでのデモ走行は異例という。ACO側にとってもこのマシンは特別な存在であるとともに、「大震災に苦しむ日本を応援したい」との思いもあったようだ。
 787Bはルマンからの凱旋(がいせん)後、国内外のさまざまなイベントに姿を見せ、マツダやREの“広告塔”として活躍してきたが、最後に走ってみせたのは2006年3月。ふだんはマツダ本社(広島県府中町)の「マツダミュージアム」に保存・展示され、時々は外でのイベントに引っ張り出されるものの、実走からは5年も遠ざかっていた。
しかし、マツダもこの記念すべき年に合わせ、787Bの動態保存に向けたプロジェクトを年明けから始動。当時を知る“生き字引”たちを含むエンジニアらでプロジェクトチームを作り、初めての本格的な修復整備に取りかかっていた。
 「デモ走行への招待の話をいただき、とても光栄でした。ただ、デモとはいえルマンで恥ずかしい走りはできない」
 かつて787Bの開発に携わり、今はスポーツカーの開発責任者を務める山本修弘さん(56)はそう話す。
チームは全部品を分解して徹底的に再点検。4基のローターを持ち、最高出力700馬力、平均時速205キロをたたき出したエンジンは思い切って新調し、当時の形式のまま復元した。日の丸地に「がんばろう日本」と記したステッカーも作り、ボディーに張った。
 そして5月17日、マツダ美祢自動車試験場で、復活を遂げたマシンのシェイクダウンが行われた。787Bがこのコースを走るのは、ここがまだ「MINEサーキット」だった05年10月以来だという。
 テストドライバーを務めたのは、日本人最多のルマン出場回数を誇り、「ミスター・ルマン」の異名を持つ寺田陽次郎さん(64)をはじめ従野孝司さん(61)、片山義美さん(71)の3人。いずれもかつてマツダの契約ドライバーで、何度もルマンでチームを組んだ“盟友”たちだ。
 入念な最終調整の後、787Bがピットレーンからコースへ入る。「ルマン用のセッティングなので、全開走行はできないんですが…」と従野さんが言うが、マシンは甲高い独特のロータリーサウンドを響かせてあっという間に視界から消える。片山さんは「車体のバランスも音も、とてもいい」と満足そう。寺田さんは「今、本戦に出場してもおかしくないパワー。デモ走行を通じて、元気な日本を表現できれば…」と手応えを感じていた。
胸がじーんときました。このエンジンサウンドに、マツダの熱い思いが載っている」と言葉を詰まらせる山本さん。「REの開発に関わりたくて、この会社に入ったんです。ルマンへの挑戦は当初、予選突破が精いっぱいだったが、いつのまにか『勝ってやる』という強い思いに変わっていった。この1台にはかけがえのない思い出が詰まっているんです」。
 日本勢の中では最も古くからルマンに関わってきたマツダ。初めて日本製のエンジンが登場したのは1970年、マツダのREを積んだ車だった。そして74年には、同社系のディーラー「マツダオート東京」(現関東マツダ)がRE車で初参戦。その後、本社も加わったワークスチームとなり、13回目の挑戦で頂点に立った。
 その原動力となったのは、世界の自動車メーカーで唯一、RE車の量産に成功した「飽くなき挑戦」のスピリット。レシプロエンジンと呼ばれる一般的なガソリンエンジンが、ピストンの往復運動を回転運動に変えて駆動力を得るのに対し、ローターの回転運動がそのまま駆動力となるREは、「軽量でコンパクト、ハイパワー」。この特性を生かそうと、ルマンだけでなく他の耐久レースやスピードレース、ラリーなどモータースポーツ活動に積極展開してきた。787Bの栄光は、そうした並々ならぬ努力と経験の蓄積のたまものだろう。
 2011年のルマンは6月11日午後3時(日本時間午後10時)にスタート。デモ走行は、本戦開始前の同日午後0時半ごろ(同午後7時半)に行われる。すっかり準備を整えて出発の時を待つ787B、世界中のルマンファンたちに歓喜で迎えられることを願わずにはいられない。

(Sentence flom jojocom)


ページトップ
戻る