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フィリピンの紙幣 (Philippine note)

1970年 20 PISO表 1970年 20 PISO裏
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1970年 20 PESOS

1949年〜1970年に発行
表 「CENTRAL BANK OF THE PHILIPPINES」「THIS NOTE IS A LIABILITY OF THE CENTRAL BANK AND IS FULLY GUARANTEED BY THE GOVERNMENT OF THE REPUBLIC OF THE PHILIPPINES」「TWENTY PESOS」「THIS NOTE IS LEGAL TENDER IN THE PHILIPPINES FOR ALL DEBTS, PUBLIC AND PRIVATE.」portrait(左) アンドレス・ボニファシオ(Andres Bonifacio)portrait(右) エミリオ・ハシント(Emilio Jacinto)
裏 「Cartilla of the katipunan and the balintawak monument.」 ケソン市バリンタワク記念碑。


アンドレス・ボニファシオは、1863年にマニラ市トンド(Tondo)のスラム街で生まれ、史上初めて革命を目指したことから「フィリピン革命の父」といわれています。外国小説の他にフランス革命、政治、法律、宗教に関する書物を読み一般市民が持つ自由という権利がいかに重要かを学びます。 平和的改革運動ではフィリピン人が自由を獲得することはできないと悟ったボニファシオは武力革命こそがスペインの支配からフィリピンを解放するものだと確信、リサールや他の改革運動家と違ってスペインから完全に独立すべきだと考えました。
ハシントは、1875年にマニラ市トロソ(Trozo)で生まれ、1895年のカティプナン最高評議会において、アンドレス・ボニファシオの秘書となり、カティプナンの頭脳と尊敬されました。彼は、カティプナンの入門書「カルティリャ・ナ・カティプナン(Kartilya ng Katipunan)」を執筆し、1896年にはカティプナンの機関紙「カラヤアン(Kalayaan)」を創刊します。革命戦争中はラグナの革命軍最高司令官として戦いました。
1896年、カティプナンのメンバーがマニラ郊外バリンタワク(Balintawak)で反乱の証としてセドゥラス(住民税証明書)を破り、ボニファシオは武力闘争を宣言しました。 8月26日はバリンタワクの叫び(Cry of Balintawak)として、スペイン統治時代、植民地支配に抵抗を開始した記念日とされています。

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