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フィリピンの貿易銀貨 (Philippines Trade dollar)

1885年 一圓1885年 一圓

1885年 一圓

1874年、1875年、1878年〜1887年に発行、材質(Material):90%銀(Silver)、直径(Diameter):38.6mm、重量(Weight):26.9g。
左 「416・ONE YEN・900」「大日本・明治十七年・」 加納夏雄の龍図。
右 「一圓」 菊と桐。


龍は古くから中華民族と中国文化の象徴であるといわれてきました。龍は中国人の祖先が考え出した自然神だと考えられます。雲が集まり雨が降りという自然現象の中に現れる「稲妻」の形象と、その「稲妻」によって得られた霊感であるともいわれています。原始時代の人々は自然の現象に興味と恐れを抱き、その中から龍という創造の動物を作り上げ、崇拝してきたようです。
龍は自然神の中でも水の神とされる神ですが、中国北方の黄河流域では龍を皇帝の象徴に使われていて、南方の揚子江流域では、鳳凰を皇帝の象徴としていたそうです。 5爪の龍は中国の皇帝のみが使用し、皇帝に準ずる臣下が龍を使用する場合は4爪までと決まっていて、朝鮮では最高で4爪、日本では3爪と決められていたそうです。
1871年(明治4年)5月に公布された新貨条例により、日本では金貨幣を本位貨幣とし一円をその原貨と定めました。また、貿易通貨として開港場のみの通用とし、一般には通用しない「一圓銀貨」を鋳造します。それは、直径37.575mm、品位90%、量目26.957gで、表面は加納夏雄の「龍」、裏面は「太陽」「菊」と「桐」で、1871年(明治4年)1月から1972年(明治5年)7月まで明治3年の年次銘で発行されました。
1874年(明治7年)3月の太政官布告に基づき、一円銀貨のデザインが変更され、表面は「一圓」の文字、及び菊と桐。裏面は加納夏雄の龍、「416・ONE YEN・900」「大日本・明治七年・」。1875年(明治8年)2月まで発行されます。
1875年 貿易銀1875年(明治8年)2月の太政官布告に基づき、一円銀貨のデザインが変更され、6月の貨幣条例により、「龍」のある面が表とされます。裏面が「貿易銀」の文字、及び菊と桐となり、表面が「420 GRAINS・TRADE DELLAR・900 FINE」の文字、及び加納夏雄の龍となります。当時、国際通貨として通用していたメキシコ・ドルは、量目27.02g、品位90.2%で、純銀24.37gでした。1874年、アメリカはメキシコ・ドルに変わる通貨とし、量目27.22g、品位90%、純銀24.48gのトレードダラーを発行し、日本でもこれに習い、同一仕様の貿易銀を発行しますが、銀量の多い貿易銀が市場に出回ると、清国商人は鋳潰して利益を得ることとなり、市場ではメキシコ・ドルの高値が続きました。
1885年 一圓1878年(明治11年)5月より、「一圓銀貨」及び「貿易銀」を国内無制限通用を認め、金銀複本位制に移行します。また、11月の太政官布告で「貿易銀」の製造は中止され、1874年(明治7年)布告の「一圓銀貨」が再発行されます。
1887年(明治20年)より、品位、量目とも同一で外形が38.1mmとなり(明治20年銘は混在)、1914年(大正3年)まで発行されます。(明治19年銘の一部に直径38.3mmが存在します) 1885年(明治18年)には「一圓銀貨」との兌換を明記した紙幣が発行され、1897年(明治30年)の貨幣法施行による金兌換再開に伴い、「一圓銀貨」の金貨との引換が行われ、翌1898年(明治31年)には再び「一圓銀貨」の、日本での流通が禁止されます。しかし日清戦争の結果、1897年(明治30年)より日本領となった台湾では「一圓銀貨」の流通が続き、「一圓銀貨」の発行は1914年(大正3年)まで行われました。

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