フィリピンの紙幣 (Philippine note)
1969年 20 PISO
1969年〜1972年に発行
表 「REPUBLIKA NG PILIPINAS」「ANG SALAPING PAPEL NA ITO AY ISANG BAYARIN
NG 「BANGKO SENTRAL」
「AT LUBOS NA PINANANAGUTAN NG PAMAHALAAN NG REPUBLIKA NG PILIPINAS」
「DALAWAMPUNG PISO」
「ANG SALAPING PAPEL NA ITO AY SALAPING UMIIRAL SA PILIPINAS AT PAMBAYAD
SA LAHAT NG URI NG PAGKAKAUTANG」
マニュエル・ケソン(Manual Quezon)。
裏 マラカニアン宮殿。
マニュエル・ケソンは、コモンウェルス(独立準備政府)初代大統領。
1878年:タヤバス州(現在のケソン州)バレル町で誕生。
1899年:米国からの独立運動に参加するためサント・トーマス大学法学部を中退してアギナルドの革命軍に参加。
1903年:司法試験に合格。
1905年:タヤバス州知事選に当選、2年間知事を務める。
1907年:第1回総選挙に即時独立を求める国民党から出馬、国民議会(一院制)議員に当選。与党院内総務を務める。
1909年:駐米委員に任命される。
1916年:安定した政府の樹立を条件に将来の独立を盛り込んだ米国のジョーンズ法(フィリピン自治法)の成立に尽力。
1935年:新憲法が国民投票で批准され、総選挙でコモンウェルスの大統領に選出。
1937年:タガログ語を国語と定めたことから「フィリピン語の父」と言われています。
大統領再選の翌1942年に日本が侵攻してフィリピンを占領した後、米国に渡り亡命政府を樹立。
フィリピンが完全な独立を果たす前の1944年8月1日にニューヨークで持病の肺結核により死去。