pichori logo

ピチョリWebサイト(Pichori website)

Contact

ガーバーナイフ (Grber Knife)

マーフィー・コンバット・ナイフ(Murphy Combat Knife)

マーフィー・コンバットナイフ(Murphy Combat Knife)

マーフィー・コンバットナイフ(Murphy Combat Knife)は、デビッド・ゼパニヤ・マーフィー(David Zehaniah Murphy)と彼の息子デビッド・マール・マーフィー(David Merle Murphy)別名、デイブ・マーフィー(Dave Murphy)により第二次世界大戦中の1941年〜1954年にかけに製作されたコンバットナイフです。

内容(Contents)

マーフィー・ハンドメイド・ブレード(Murphy Handmade Blades)は、オレゴン州(Oregon)ポートランドで、1930年〜1950年に、マーフィーと彼の息子で経営されていました。 1939年に、ナイフメーカーのガーバー社(Gerber Legendary Blade)と製造契約を結び1941年までガーバー社のナイフ製造を始めます。ガーバーナイフの歴史
第二次世界大戦の勃発により、マーフィーは、軍隊が使用するためのコンバットナイフをオレゴン州グレシャム(Gresham)で製造します。 ナイフは、E.C.アトキンス(E.C.Atkins & Co.,Inc.)の鋸刃でブレードを作り、アルミニウムを溶かし、鋳造したアルミニウムハンドルで、6 1/8インチブレードと5インチブレードの2種類が生産され、両方ともほとんど共通でした。 6 1/8インチブレードのナイフはハンドルの右に「MURPHY COMBAT」、左に「USA」と記されていて、5インチブレードのナイフはハンドルの右に「MURPHY COMBAT JR」、左に「USA」と記されていました。
革製のシースは、オレゴン州ペンドルトン(Pendleton)のハムレイズ・サドル工場(Hamley's Saddle Works)で製造されマーフィーに供給されました。
また、1942年〜1949年にマーフィー・コンバットナイフの残ったパーツから、クルーズ・コンバトナイフ(Clause Combat Knife)と呼ばれる少し小さいモデルがオレゴン州のクルーズ氏(Clause)によって、年間およそ100本製造されました。このナイフは、マーフィー・コンバットナイフより狭い刃でマークがなく、マーフィー・コンバットナイフに大変類似したナイフでした。
後に、ナイフメーカーのMHコール(MH Cole)とデイビッド・ゼパニヤ・マーフィーの面談記録によると、1941年〜1954年にかけ、およそ90,000本のナイフを生産したとされていますが、ナイフ研究者によると、今日の市場でこれらのナイフの希少性を考慮すると、その数量は非常に高い数値であるとされていて、単なる間違いか、または誤って末尾に余分な「0」がついてしまったのではないか言われています。
1950年代に、息子のデビッド・マール・マーフィーがカリフォルニア州でナイフ製造を始めましたが、1954年にマーフィー・ハンドメイド・ブレードは倒産し、フランク・バートゥー(Frank Barteaux)氏に買い取られ、 バートゥー・マシェット(Barteaux Machete)となります。その後、デビッド・ゼパニヤ・マーフィーは1960年に亡くなります。
写真のナイフは、1988年に、バージニア州(Virginia)リッチモンド(Richmond)のジョンEkナイフ(John Ek knife)で製造され、ザ・アメリカン・ヒストリー・ファンデーション(The American Historical Foundation)から記念に出されたコピーで、エッチングされた刃でケースに入っています。 陸軍(Army)、海兵隊(Marine Corps)、ネイビー(Navy)および陸軍航空隊(Army Air Corps)のシリーズがあり、それぞれ500本製造されました。

写真は 陸軍(Army)


●全長:286mm ●刃長:151mm ●ブレード材:サンドビック・ステンレス(Sandvik stainless steel) ●ハンドル材:アルミキャスト

<< 前のページに戻る