旅2008年 (Journey 2008)
宮城県:鳴子温泉の温泉神社の拝殿
鳴子温泉(なるこおんせん)は、宮城県大崎市にある温泉で、826年(天長3年)に起きた鳥屋ヶ森山の噴火で、現在の温泉神社より温泉が湧出し始めたのが鳴子温泉の始まりと言われています。本来は「なるご」と濁音で読むそうです。福島県の飯坂温泉、宮城県の秋保温泉とともに奥州三名湯に数えられています。温泉神社という名前の神社は日本各地に存在し、多くは温泉に関わる神社です。鳴子の温泉神社の歴史は大変古く、869年(貞観11年)に成立された歴史書『続日本後紀(しょくにほんこうき)』に記述があるそうです。
続日本後紀より
『承和四年四月戊申。陸奧國言。玉造塞温泉石神。雷響振動。晝夜不止。温泉流河。其色如漿。加以山燒谷塞。石崩折木。更作新沼。沸聲如雷。如此奇恠不可勝計。仍仰國司。鎭謝災異。教誘夷狄。』
境内石碑より。
延喜式内社 温泉神社縁起
祭神 大己貴命
少彦名命
例祭日 九月七、八、九日
温泉神社の創建は古く、続日本後紀に次のように記されている。「仁明天皇の御代、承和四年(八三七)四月、鳥谷ヶ森にわかに鳴動すること数日、遂に爆発し熱湯を噴出、河となつて流れた。里人は驚いて朝廷に報告した。朝廷は温泉の神を祀り、この年十月九日從五位下を賜る」と。里人はこの湯を鳴声(なきご)の湯と称した。これが現町名鳴子(なるご)の起りである。(宮城県郷土史) また朝廷では、延喜五年(九〇五)全国の神社を調査した。その時、延喜式神明帖に登載された神社を延喜式内社と言うが、当神社は、その延喜式内社で由緒の深い神社である。明治七年村社に列せられ、昭和十九年知事により、神饌幣帛料供進神社に指定された。 祭神の大己貴命は、出雲の神として親しまれる大国主命ともいわれ、少彦名命と共に縁結びの神、農耕の神、また病気治癒の医療の神として知られ、多くの人々の篤い信仰を集めてきた。
秋に行われる祭典には、近郷近在から大勢の若者を集め、寄せ太鼓も賑々しく相撲を奉納することを常として。この相撲は「文治五年(一一八九)源頼朝が、平泉の藤原泰衡を征討した。この時、当神社に戦勝を祈願し、ことの成就後神の御加護を謝して、部下の勇士による相撲を奉納したことに始まる」とされている。鳴子相撲は九州の「明鳥」東京の「浅草」と並び、日本の三大田舎相撲の一つとして有名である。
昭和十年、拝殿建立に続き昭和十九年には本殿の竣工をみた。総けやきの権現造りである。例祭には、前記勧進相撲をはじめ、全国こけし祭りなどの特色のある行事が、町を挙げて盛大に催され、氏子だけでなく訪れる人々の大きな楽しみとなっている。