旅2007年 (Journey 2007)
京都府:天龍寺の飛雲観音
天龍寺は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院です。1339年(暦応2年)に吉野で没した後醍醐天皇の霊を鎮めるため、夢窓国師を開山として、足利尊氏が亀山離宮を禅寺に改めたのが創始と言われ、1345年(貞和元年)に完成したとされています。 天龍寺は1386年(至徳3年)に足利義満により京都五山の第1位に格付けされ以下、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺の順だそうです。現在の建物は、1869年(明治2年)から復興が始まり、現在の規模になったのは1900年頃といわれています。1994年(平成6年)世界文化遺産に登録されています。飛雲観音(ひうんかんのん)は、東京芸術大学の西村功朝氏の作で、1980年(昭和55年)に建立されました。 元々は、アジア・太平洋戦争期の特攻隊などの航空戦で命を落とした日本兵のために建てられるはずでしたが、国籍や宗教を問わず、広く航空受難者一般の供養のためにこの像は建てられることとなったそうです。
碑文 「一九四一年に始まった太平洋戦争は、有史以来の戦争の様相を大きく変えた。それは、本格的な航空戦が加 ったゆえである。無限の広がりを持つ新しい空の決戦場は、多数の飛行機搭乗員を必要とした。高度な飛行技 術と強靱な精神力を求められる搭乗員は、年少期よりの専門教育が至情とされるところから、厳しい訓練に耐え 得る鋼のような肉体と純真でひたむきな学習力を持つ青少年に、国を挙げての期待が集まるのは当然の成り行 きであった。空はまた、青春の心を捉えて止まない魔力を備えていた。かくして若者は、学業なかばにして次々と 飛行機乗りの道を選び、熾烈な空の戦いに参加して多くの者が散華していった。彼らには、名利や栄達への欲 望など一切なかった。祖国を呑み込もうとする怒濤の前に、己が生身を投げ出す事が、平和の礎になるものと 信じて疑わなかった。同じ思いをわかち合いながら、紙一重の差で戦後を生かされた空の仲間達は、先駆けた 友の霊を慰め、その願いを後世に伝えるよすがとして観音像の建立を発願したが、砲火を交えた異国の人々に も思いを巡らす時、同じ空の戦いに散った翼の友として、彼我の別なく追悼する事に異論の有ろう筈もなかっ た。さらに航空殉難者も合わせ回向する旨を広く世に問うたところ、胎内に収める写経三万巻と浄財が寄せら れ、世界の平和と航空安全の本尊として、飛雲のおん名を奉る観音像がここに建立された」