旅2007年 (Journey 2007)
長野県:松本城の柱
松本城は、長野県松本市にある城で、天守は国宝に指定されています。 現存する天守閣ではもっとも古い遺構のもので、全体に黒塗りのため、烏城(からすじょう)とも呼ばれています。1504年(永正元年)に、小笠原一族が築いた深志城(ふかしじょう)が始まりで、甲斐の武田氏、徳川家康と支配が変わり、1582年(天正10)、小笠原貞慶が復帰し名を松本城と改めました。柱は、姫路城のように心柱(しんばしら)に寄りかかっての工法ではなく、各階の通し柱を使用した構造になっています。 大天守には全部で222本の柱が使われているそうで、その内110本は、各階の通し柱になっているそうです。
写真は、天守一階で、一間ごとに柱が立ち、天守全体の重みを支える構造となっています。入側(いりかわ)柱より内側は床が一段高くなっていて、その柱間は、いずれも約1.97mで京間寸法となっています。 多くの柱に、小さな穴が残っていることから、柱の間は壁だったことがうかがえます。このような間取りから想像すると、天守一階は、食料や弾薬などの倉庫であったと思われます。