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フィリピンの紙幣 (Philippine note)

2013年 100 PISO表 2013年 100 PISO裏
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2013年 100 PISO

2013年に、イグレシア・ニ・クリスト教会100周年を記念して発行。
表 「REPUBLIKA NG PILIPINAS」「ANG SALAPING ITO AY BAYARIN NG BANGKO SENTRAL AT PANANAGUTAN NG REPUBLIKA NG PILIPINAS」「SANDAANG PISO」portraitマニュエル・ロハス(Manuel A. Roxas)。1946年7月4日、独立宣言で、アメリカ国旗が降ろされ、フィリピン国旗が揚げられる構図。
裏 フィリピン中央銀行(Bangko Sentral ng Pilipinas)の建物。


マニュエル・ロハス(Manuel A. Roxas)は、独立共和国最初の大統領。


イグレシア・ニ・クリスト(Iglesia Ni Cristo)は、「キリストの教会」と言う意味で、1914年7月27日にフェリックス・マナロ(Felix Manalo)というフィリピン人により創立されました。英語では「Church of Christ」。 第2次世界大戦以前にはルソン島を中心とする小集団にすぎませんでしたが、戦後急激な教勢の拡大を達成し、50年末にはフィリピン全土に進出しました。
 『イグレシアの創始者はフェリックス・マナロ(Felix Manalo)というフィリピン人で、彼は1886年マニラ近郊のタギッグという町で生まれた。父親が早くに亡くなったため、フェリックスはマニラにでて職を転々とした。そのうちにメソジスト教会、長老派教会などで聖書と神学を学び、さらにクリスチャン・ミッショナリー教会、セブンス・ディ・アドベンティスト教会では優れた説教者、伝道者として知られるようになった。そして、1913年の終わりにマニラで「三日三晩の聖書研究と瞑想の時間」を持ち、翌1914年7月27日に自ら率いる教会を「イグレシア・ニ・クリスト」として植民地政府に登録した。これがイグレシアの始まりである。
 イグレシアは第二次世界大戦まではマニラを中心とする小さなセクトにすぎなかったが、戦後になるとフィリピン全土に信者をもつ教会に急成長した。1948年の国勢調査の宗教の項目に初めて、それまでのカトリック、アグイパイ派(フィリピン独立教会)、プロテスタント、イスラーム、仏教、神道、その他の宗教、無神論というカテゴリーに、イグレシア・ニ・クリストが加えられた。つまり、この時期になると、イグレシアはもはやフィリピン社会で無視できない教派として社会的に認知されたのである。ちなみにこの年の統計では、イグレシア信者は88,125人、全人口の0.5%だった。
 神学上の特徴は、第一に創始者のフェリックス・マナロを黙示録7章に登場する「東からきた天使」、すなわちイグレシアのことばでは「神の最期の使い」(スーゴ)と信じること、第二にキリストは人の上に立つ人ではあっても神ではないこと、第三にイグレシアの信者になる以外に救いの道はないとする点にある。つまり、フィリピン人であるフェリックスを神の使いと信じ、さらにカトリック教会やほとんどのプロテスタント教会が保持する三位一体論を真っ向から否定する。こうした信仰上の立場の故にイグレシアは、創立当初からカトリックをはじめとする他のキリスト教教派からさまざまな迫害を受けてきた。1950年代から60年代にカトリック教会は、イグレシアを共産主義をしのぐ危険な洗脳団体であると非難し、反イグレシア・キャンペーンを展開したほどだった。
 イグレシアの信者になることは、職場や学校、近隣社会で嫌がらせを受け、不利益をこうむることでもあった。信者たちはディヌグアンなど動物の血を用いた料理を食べること、労働組合への加入、フィエスタへの参加などを禁止されている。フィエスタはもともとはカトリックの聖人をまつる宗教行事だが、今日では町や村の年に一度の祭りとなっている。それに表立っては参加しないため、信者たちは社会的に孤立してしまう。そこでかれらは逆に内部の結束をかため、教会側も地域ごとに信者集団を組織化し、信者のあいだでの相互扶助を奨励した。
 1963年に創立者フェリックス・マナロが死去すると、息子のエラーニョ・マナロが教会監督の地位を継承した。エラーニョの指導の下で、イグレシアはそれまでの伝道一本槍の姿勢を転換し、非信者をも対象としたより広範な社会奉仕活動に力をいれるようになった。政府と協力して行う家族計画推進キャンペーンや無料移動クリニックなどがよく知られている。
 1968年にイグレシアは、ホノルル市内に最初の海外教会を設立した。これを皮切りに翌年にはサンフランシスコに米国とカナダ西海岸一帯の教会を管轄する伝道本部を設けるなど、海外での教会設立の準備が進められた。96年のイグレシア月刊誌『パスーゴ』誌上の「国外における礼拝の場所と時間」によれば、全世界の57の国、地域に合計162の教会(原則として牧師が常駐)、179の信者グループ(牧師なし)が存在する。日本にも千葉、群馬、茨城、浜松、名古屋、岡谷、大阪、東京、横浜などに教会がある。1990年の国勢調査ではイグレシア信者は141万4,393人、全人口の2.3%と報告されている。』 (現代フィリピンを知るための60章より)

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