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1911マニファクチャー(Manufactures_1911)

スプリングフィールド.アーモリー M1911 (Springfield Armory M1911)

スプリングフィールド.アーモリー M1911 (Springfield Armory M1911)

M1911は、アメリカの銃器設計者であるジョン・M・ブローニングの設計に基づき、コルト社によって軍用に開発された自動拳銃です。第1次大戦時、コルト社とスプリングフィールド国営造兵廠(Springfield armory)で約14万丁のM1911を合衆国政府に納入しています。製造された銃のフレームには「UNITED STATES PROPERTY」と刻印され、陸軍ではスライドに「MODEL OF 1911 U.S.ARMY」、海軍及び海兵隊は「MODEL OF 1911 U.S.NAVY」「MODEL OF 1911 U.S.M.C.」と刻印されました。 1914年の第1次大戦開始より1918年まで増産は続けられ、計画された生産数量は約270万丁と言われています。コルト社以外での生産も必要となり、レミントンUMC(Remington-UMC)、ウインチェスター社(Winchester)、バローズアディング機械(Burroughs Adding Machin CO.)、ランストンモノタイプ機械(Lanston Monotype achin CO.)、ナショナルキャッシュレジスター社(National Cash Register CO.)、A.Jサベージ軍需品社(A.J.Savage Munitions CO.)、サベージアームス社(Savage Arms CO.)、それにカナダのキャロンブラザース製作所(Caron Brothers Mfg.CO.)、ノースアメリカアームス社(North American Arms Co.ltd) の9社へも発注されました。この銃は、第1次世界大戦中に製造されたスプリングフィールド造兵廠製です。
スプリングフィールド造兵廠(Springfield Armory)は、1777年に、マサチューセッツ州スプリングフィールド市に、米国独立戦争のためにカートリッジと砲車を製造するために設立された陸軍施設のスプリングフィールド兵器庫(The Arsenal at Springfield)が前進で、1794年に、ジョージ・ワシントン大統領の命により各種機関が統合され、小火器の国産化を目的とするスプリングフィールド造兵廠が発足します。 南北戦争後期の北部連邦軍の標準装備として100万丁近く生産されたM1863マスケットライフルや、第二次世界大戦で使用された、世界で初めての軍用セミオートマチックライフル、M1ガーランドなどで知られています。 1968年に、正式採用銃は民間に移管され、スプリングフィールド造兵廠は閉鎖され、現在は、記念公園や博物館として運営されています。 「スプリングフィールド・アーモリー」のブランドは民間に売却され、1974年に民間企業のスプリングフィールド・アーモリー・インク(Springfield Armory Inc.)が創設されます。

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