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1911マニファクチャー(Manufactures_1911)

レミントンランド社 M1911A1(Remington-Rand M1911A1)

レミントンランド社 M1911A1(Remington-Rand M1911A1)

1926年(昭和元年)、M1911は、フレーム・メインスプリングハウジング・グリップセイフティー・トリガ・マガジン及びハンドストック(フェノール樹脂の成形品)等に一部改良を加えたM1911A1に切り替わり、1927年(昭和2年)から改良型のM1911A1に生産が移行しました。グリップセーフティの改良は、親指と人差し指の付け根の部分がハンマーとグリップセイフティーの間に挟まり怪我をした為と言われています。第2次世界大戦中は、コルト社以外で、スプリングフィールド造兵廠、レミントンランド社、シンガー工業、イサカ銃器会社、ユニオン・スイッチ&シグナル社などでも生産されました。この銃は、第2次世界大戦中に製造されたレミントンランド製です。約90万丁生産されたと言われています。
レミントンランド社は、ノースカロライナ州マディソンで、1816年にエリファレット・レミントンが創立したアメリカ合衆国最古の民間銃器メーカー、E・レミントン・アンド・サンズ (E. Remington and Sons.)が前進で、1874年に、ペンシルバニア生まれのクリストファー・レイサム・ショールズ(Christopher Latham Sholes)と共に、レミントン製タイプライターを発売します。 このタイプライターは当時としては画期的なタイプ速度を実現していました。1886年、E・レミントン・アンド・サンズ社はタイプライター部門を分離し、ウィックオフ・シーマンス・アンド・ベネディクト社に売却し、社名はレミントン・スタンダード・タイプライター社となります。1890年には、レミントン・タイプライター社は年間2万台のタイプライターを製造する企業となります。
1927年には、ランド・カーデックス社に買収され社名がレミントンランド社となります。1942年から1945年まで、アメリカ陸軍で使われた1911A1の生産量はレミントンランド社が最大でした。

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