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歴代のスペイン王

1469年、カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世が結婚し、イスパニア王国が成立します。1492年に、イスパニア王国がグラナダを陥落させてナスル朝が滅びイスパニアが統一し、イサベル1世とフェルナンド2世はローマ教皇より「カトリック両王」の称号を受けます。


ハプスブルク朝
1516年に、ハプスブルク家のカール大公がスペイン王カルロス1世として即位し、スペイン・ハプスブルク朝が始まります。

ブルボン朝
カルロス2世の死去に伴い、スペインハプスブルク家が断絶し、フランスのルイ14世によりブルボン家のアンジュー公フィリップが国王として即位し、フェリペ5世と名乗ります。しかし各国が異議を唱え12年に及ぶスペイン継承戦争が始まり、1713年のユトレヒト条約でフェリペ5世として即位することが承認されます。

ボナパルト朝
1803年に、ナポレオン戦争が勃発し、スペインは1808年ナポレオンの侵攻を許します。カルロス4世が退位しフェルナンド7世が一時王位を継承しますが、ナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトがスペイン王ホセ1世となり、カタルーニャはフランス帝国の直轄地になります。


ブルボン朝(第1次復古)
1808年、イベリア半島でスペイン、ポルトガル、イギリスがフランス帝国と半島戦争(日本ではスペイン独立戦争)と呼ばれる内戦が1814年まで続き、1814年にホセ1世は退位し、ブルボン家のフェルナンド7世が国王に再び即位します。

サボイア朝
1868年9月17日にフアン・プリム(Juan Prim)将軍の下に集結したセビーリャ、マラガ、アルメリアの守備隊によるクーデターが起き、市民も加わり革命評議会が結成されます。28日にはセラノ将軍率いる反乱軍が政府軍に勝利しブルボン朝の打倒が宣言され、イサベル2世はフランスに亡命します。(フランスに亡命したイサベラ2世は1870年に息子のアルフォンソに王位を譲っています。)革命評議会はフランシスコ・セラノ(Francisco serrano)将軍を首班とする内閣を結成し、翌年の1869年に憲法が公布されます。新政府は立憲君主制をとるため、サヴォイア家出身で、ナポリとパルマのブルボン家を滅ぼした統一イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の次男アオスタ公アマデオが選ばれ、アマデオ1世として1871年に王位を継承します。

第1共和国(大統領)
アマデオ1世は、立憲体制に努めましたが、1871年にはフアン・プリムが暗殺され、政治的混乱に絶えず悩まされ続けたそうです。堪え切れなくなったアマデオ1世は1873年に退位し、エスタニスラオ・フィゲラスを大統領とする第1共和政が成立します。
  • エスタニスラオ・フィゲラス(1873年)
  • ピ・イ・マルガル(1873年)
  • ニコラース・サルメローン(1873年)
  • エミリオ・カステラル(1873年〜1874年)

ブルボン朝(第2次復古)
1874年のマルティネス・カンポス(Martinez Campos)将軍のクーデターにより、イサベル2世から王位を譲られていたアルフォンソがアルフォンソ12世として正式に即位することになります。

第2共和国
1929年の世界大恐慌の影響でスペインでは共和政を望む声が多くなります。1931年の総選挙で左派が勝利し、アルフォンソ13世は退位し王制から共和制へと移行しスペイン第2共和政が成立します。
  • アルカラ・サモーラ大統領(1931年〜1936年)
  • マヌエル・アサーニャ大統領(1936年〜1939年)

共和国の崩壊
左派政権樹立に対し、フランシス・フランコはモロッコで反乱を起こしスペイン内戦が勃発します。右派が勝利しフランシスコ・フランコの独裁政治が続きます。
  • フランシスコ・フランコ総統(1939年〜1975年)

ブルボン朝(第3次復古)
1941年にアルフォンソ13世が死去し、名目上の王位を継承したアルフォンソ13世の4男バルセロナ伯フアンはフランシスコ・フランコと王位奪還に向けて交渉を行い、長男のフアン・カルロスを後継者とすることで合意します。1975年のフランコの死去とともにフアン・カルロス1世として即位し、現在に至っています。

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