歴代アメリカ合衆国大統領(PRESIDENTS OF THE UNITED STATES)

16代 エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)

16代 エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)
1809年2月12日、ケンタッキー州ハーディン郡(現在のラーウエ郡)
「人民の人民による人民のための政治」


エイブラハム・リンカーンは1809年2月12日、ケンタッキー州ハーディン郡でトーマス・リンカーンとナンシー・ハンクス夫妻の息子として生まれ、1831年には、ニュー・セーレムからニュー・オーリンズまでをミシシッピ川を下り品物を運搬する仕事をしていました。
1832年に起こった、イリノイ州とネイティヴ・アメリカンのソーク族との間の戦い、ブラックホークの戦いに義勇兵として参加します。
1834年、ホィッグ・民主党の連立候補としてイリノイ州下院議員に初当選し、1850年代中頃まで、イリノイ州で弁護士として活躍します。 1860年の大統領選挙で当選し、1860年11月6日にリンカーンは第16代アメリカ合衆国大統領に選出されます。
1860年12月に、サウスカロライナ州が連邦からの脱退を宣言し、1861年2月までにミシシッピ州フロリダ州アラバマ州ジョージア州ルイジアナ州テキサス州も連邦からの脱退を宣言します。 1861年2月4日には7州で参加したアメリカ連合国を設立。ジェファーソン・デイヴィスが暫定大統領に指名されます。
1961年3月4日にリンカーンが大統領に就任し、4月12日に南軍が連邦のサムター要塞を砲撃して南北戦争が始まります。(サムター要塞の戦い)。
1961年5月までにバージニア州アーカンソー州テネシー州ノースカロライナ州が連合国に合流します。ただし奴隷州のデラウェア州ケンタッキー州メリーランド州ミズーリ州、それにバージニア州の西部(後のウェストバージニア州)は合衆国に残りました。
1862年9月、エイブラハム・リンカーンは南部連合が支配する地域の奴隷たちの解放を命じた宣言「奴隷解放宣言(Emancipation Proclamation)」をします。それは、奴隷制の廃止と連邦での市民権の確立に関するアメリカ合衆国憲法第13条および14条の修正条項制定の推進力となりました。
1863年11月19日、ペンシルバニア州ゲティスバーグにある国立戦没者墓地の奉献式で、エイブラハム・リンカーンが行った演説は、ゲティスバーグ演説(The Gettysburg Address)として知られています。

THE GETTYSBURG ADDRESS

Fourscore and seven years ago our fathers brought forth on this continent a new nation, conceived in liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.
 Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure.
We are met on a great battlefield of that war.
We have come to dedicate a portion of that field as a final resting-place for those who here gave their lives that this nation might live.
It is altogether fitting and proper that we should do this.
 But, in a larger sense, we cannot dedicate…we cannot consecrate…we cannot hallow…this ground.
The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it far above our poor power to add or detract.
The world will little note nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here.
It is for us, the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced.
It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us…that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion; that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain; that this nation, under God, shall have a new birth of freedom; and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.
November 19, 1863

ゲティスバーグ演説

80と7年前、私たちの父祖は、この大陸に新たなる国家を打ち立てました。自由を原点として懐胎され、人はみな平等であるとの命題に捧げられた国家です。
今私たちは、たいへんな内戦の渦中にあります。その国家が、あるいはそのような原点をもって懐胎され、そのような命題に捧げられた国家一般が、長らえることができるかどうかが試されているのです。
私たちはその戦争の激戦地に集っています。その国家が生き長らえるためにこの地で命をなげうった人々の最後の安息の地として、その戦場の一角を捧げるために集まりました。それは私たちにとって、全くもってふさわしく、また理にかなった行ないであります。
しかし、より大きな意味では、私たちがこの土地を捧げることはできません。この土地を聖別したり、神に捧げたりすることはできません。この地で奮闘した勇敢な人々こそが、生きている方々も戦死した方々も含め、すでにこの地を聖別しているのです。
それに付け加えたり、差し引いたりすることは私たちの貧弱な力の及ぶところではないのです。私たちがここで話すことは世界の耳目を引くこともなく、やがて忘れ去られることでしょう。しかし、彼らがこの地でなしたことは、永遠に世界の記憶に留められるのです。この地で戦った人々がこれまで気高くも進めてきた未完の仕事を完遂するために、私たち生きている者は、むしろ自らの身を捧げるべきなのです。
私たちの前には大いなる責務が残されています。名誉ある戦死者たちが最後まで完全に身を捧げた大義のために、私たちも一層の献身をもってあたること。これらの戦死者たちの死を無駄にしないと高らかに決意すること。神の導きのもと、この国に自由の新たなる誕生をもたらすこと。そして、人民の、人民による、人民のための政府をこの地上から絶やさないことこそが、私たちが身を捧げるべき大いなる責務なのです。
1863年11月19日 (友清理士 訳)

1864年3月、ユリシーズ・シンプソン・グラント(Ulysses Simpson Grant)、後の第18代アメリカ合衆国大統領が北軍総司令官に就任します。 戦争が長期化するにつれて、装備、人口、工業力など総合力に優れた北軍が優勢になり、1864年9月にはアトランタが陥落します。
1865年4月3日には南部の首都リッチモンドが陥落し、9日には南部連合の軍司令官、ロバート・エドワード・リー(Robert Edward Lee)12日)が降伏し、南北戦争は事実上終了します。
1865年4月14日フォード劇場で、妻のメアリー・トッド他と「われらのアメリカのいとこ(Our American Cousin)」の観劇中、北軍のメリーランド州出身の俳優ジョン・ウィルクス・ブース((John Wilkes Booth)に1.2mの至近距離からデリンジャー拳銃で後頭部左耳後5cmを1発撃たれ、致命傷を負った大統領は通りの向かいの、ウィリアム・ピーターソン(William Petersen)宅に運ばれ、1865年4月15日午前7時21分に亡くなりました。

(Picture from Wikipedia)


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