pichori

序論(Introduction)

資本論(Das Kapital)によると、経済はいつまでも発展することはできず、ある時点で不況や恐慌に転化すると言っています。「いつでも事業は、まさに破局の直前にこそ、ほとんど過度なまでに健全に見える。」「事業は 相変わらずいたって健全であり、市況は引き続き繁栄をきわめているのに、ある日突然 崩壊が起きるのである。」循環の記述のなかでは、恐慌の持つこうした全面性、激発性が強調されています。

内容(Contents)

  • 第1次世界大戦
    1914年6月28日にハンガリー帝国(現オーストリア)皇帝の継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が当時オーストリア領のサラエボ(現ボスニア・ヘルツェゴビナ領)を視察中、セルビア人の青年ガブリロ・プリンツィプによって暗殺されたサラエボ事件をきっかけとして第1次世界大戦が勃発します。
    ドイツとオーストリア・ハンガリー帝国が英国、フランス、ロシアと戦い、戦争の結果、ドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国、そして内戦によりロシア帝国の4つの帝国が分解し、ホーエンツォレルン家、ハプスブルク家、オスマン家そしてロマノフ家の4つの王家は没落します。
    1919年には、パリ講和会議が始まり、ドイツでは、すべての王侯貴族が追放され、ベルサイユ条約により巨額の賠償金を課せられたために激しいインフレーションが引き起こされます。さらに条約によりドイツ人が居住する領土を割譲させられたことで、ルール問題、ズデーテン問題、ポーランド回廊問題が発生します。これらの問題は第2次世界大戦の直接の原因となります。
    ヨーロッパが主戦場となりましたが、戦闘はアフリカ、中東、東アジア、太平洋、大西洋、インド洋にもおよび世界の大多数の国が参戦しました。
    1915年まで、軽度の不況下にあった米国の産業は、第1次世界大戦の多大な影響を受けることとなり、西側同盟諸国からの軍需品受注で再び活況を取り戻していました。
  • 20年繁栄と29年恐慌
    1920年代のアメリカは、第1次世界大戦の輸出によって発展した重工業、自動車工業の躍進、ヨーロッパへの輸出の増加などによって「永遠の繁栄」と呼ばれる好景気が続いていました。しかし、農業の機械化による過剰生産、ヨーロッパの復興、異常気象などから農業恐慌となり、農業不況に加えて、鉄道や石炭産業も不振になっていたにもかかわらず好景気にあおられ、アメリカの株式市場は1924年中頃から投機を中心とした資金の流入によって上昇を続けます。
    1929年10月24日10時25分、ゼネラルモーターズの株価が80セント下落したのを発端に、売りが膨らみ株式市場は11時頃までに売り一色となり、株価は大暴落します。 その後も暴落が続き、投資家は株の損失を埋めるためあらゆる分野から資金を引き上げたため、大きな恐慌となり自律的回復の手だてができないほど困難でした。
    1929年当時の失業者の数は、155万人で労働者人口の3.2%でしが、1930年、デトロイトのフォードの工場では、12万8000人いた従業員が3万7000人に激減し、アメリカの失業者数は434万人、失業率は8.7%になります。1932年には、失業者数は、1200万人を超え、失業率は24%になります。これは4人に1人は失業者ということになります。1932年の大統領選挙で民主党のルーズベルトが、472対59の大差で新大統領に当選します。
  • 経済政策
    • ニューディール(New Deal)政策
      フランクリン・D・ルーズベルトは1933年、世界恐慌に対し、ニューディール(New Deal)政策と呼ばれる、政府による経済への介入を行ないました。 緊急銀行救済法、テネシー川流域開発公社などの公共事業、民間資源保存局による大規模雇用、全国産業復興法による労働時間の短縮や超越論的賃金の確保、農業調整法による生産量の調整などの政策を行いましたが、成果が上がらず、労使双方から反発もおきるようになります。
    • 第2次世界大戦
      1939年9月1日、ドイツ軍のポーランドへの進攻が開始され、1939年9月3日英仏両国もドイツへ宣戦を布告し、第2次世界大戦が始まります。 ヨーロッパで始まった第2次大戦においてドイツ軍が勝利を収めれば、アメリカの安全保障に脅威を与える事態になります。しかも1946年6月にはドイツがフランスを占領したため、不利な戦況に追い込まれたイギリスを援助するために、アメリカは早急にヨーロッパに参戦する必要がありました。
    • 戦争挑発計画
      ワシントンの海軍情報部極東課長をしていたアーサー・マッカラムが、1940年(昭和15)10月7日に立案し、承認された計画「太平洋における状況の概要と合衆国が取るべき行動の勧告(Estimate of the Situation in the Pacific and Recommendations for Action by the United States)」は、フランクリン・ルーズベルト大統領の最も信頼する顧問に宛てて作成されたもので、日本を挑発することにより、アメリカに対して戦争行為をするように計画したものでした。
      • 戦争挑発計画の実行T
        アメリカは マッカラムの戦争挑発計画に従い1941年(昭和16年)7月25日に、イギリス、オランダと共謀して、アメリカ国内の日本資産1億3千万ドルを凍結し、貿易、金融関係を全て断絶する経済封鎖を実施し、これにフランス、カナダ、ポルトガルも同調しました。資産凍結は国が外国などの資産の処分、移動を禁止することで、特に戦時において自国内にある敵国政府、敵国籍の会社、敵国人の資産を接収または管理することをいい、これは開戦を意図した挑発行為そのものと言えます。
      • 戦争挑発計画の実行U
        更にアメリカ大統領ルーズベルトは1941年(昭和16年)8月1日にイギリス、オランダと協力して 石油などの対日輸出禁止の追い打ちを掛けました。当時の日本の石油自給率は5%で、95%を対日経済凍結地域からの輸入に頼っていたため、国家としての存亡の危機に見舞われました。
      • レインボー5(Rainbow 5)
        1941年9月27日に、日、独、伊の3国同盟が成立し3国との戦争が予想される事態になると、アメリカは「レインボー5(Rainbow 5)」と呼ばれる戦略をとります。それは、日米開戦の場合に取るべきアメリカの作戦はアメリカ艦隊により日本周辺の海上封鎖をおこない、海外からの物資の輸入を絶ち、沖縄を占領し、空襲により日本国内の生産設備を破壊して継戦能力を失わせ、本土を孤立させて降伏させるというものでした。そのためのアメリカはハワイとフィリピンのマニラ(スービック湾)に海軍基地を建設し、海軍力の増強を図ります。
      • 日米交渉
        1941年11月20日、日本側は以下の内容の乙案を提示します。
        1. 日米はフランス領インドシナ以外の諸地域に武力進出を行わない。
        2. 日米はオランダ領東インドにおいて石油や錫などの必要資源を得られるよう協力する。
        3. アメリカは年間100万キロリットルの航空揮発油を対日供給する。
        備考:(A) 交渉が成立すれば日本は南部仏印進駐の日本軍は北部仏印に移駐する (B) 日米は通商関係や三国同盟の解釈と履行に関する規定について話し合い、追加挿入する
      • ハル・ノート(Hull note)
        1941年(昭和16年)11月26日にアメリカ側から日本側にハル・ノートが提示されます。ハル・ノートは正式には、合衆国と日本の間の協定で提案された基礎の概要(Outline of proposed Basis for Agreement Between The United States and Japan)。日米交渉のアメリカ側の当事者、国務長官コーデル・ハル(Cordell Hull)の名前からこのように呼ばれています。
        1. アメリカと日本は、英中日蘭蘇泰米間の包括的な不可侵条約を提案する。
        2. 日本のフランス領インドシナからの即時撤兵。
        3. 日本の中国からの即時撤兵。
        4. 日米が(日本が支援していた汪兆銘政権を否認して)アメリカの支援する中国国民党政府以外のいかなる政府をも認めない。
        5. 日本の中国大陸における海外租界と関連権益全ての放棄。
        6. 通商条約再締結のための交渉の開始。
        7. アメリカによる日本の資産凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結の解除。
        8. 円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立。
        9. 第3国との太平洋地域における平和維持に反する協定の廃棄。
        10. 本協定内容の両国による推進。
    • 太平洋戦争
      日本政府はハル・ノートを提示されたことで軍部を中心に強硬意見が主流になり、12月1日の御前会議にて対英米開戦が決議され、1941年(昭和16年)12月1日5時30分、機動部隊に向けて真珠湾攻撃の命令が発せられました。
      1941年12月8日の真珠湾攻撃によって始まり、1945年8月15日のポツダム宣言受諾によって終了します。第2次世界大戦参戦による軍需の増大によってアメリカ経済は回復し、失業者も激減しました。
  • イラク戦争がもたらした景気回復
    アフガン戦争、イラク戦争で米軍は、新型兵器や、それを支えるソフトウェアの指揮・統制システムを使用しました。それを実現したのが、インテル・ペンティアムの標準プロセッサーやマイクロソフトのウィンドウズ・ソフトウェアでした。こうした指揮・統制システムに加えてイラク戦争では、レーザーで誘導されるレーザー誘導爆弾、GPS衛星から送られてくるデータを受信して位置を確かめながら標的に向かうGPS誘導爆弾、内蔵されたICチップに地形を記憶して誘導される巡航ミサイル・トマホークなど約2万発が消費されたそうです。これにより、アメリカのIT関連のICメーカーやソフトウエア企業は、03年4〜6月期に10%近い増収を果たします。例えばマイクロソフトの売上高は前年同期比11%増、インテルは8%増、テキサス・インスツルメントは8%増などとなっています。

    (ブッシュの終わりなき世界戦争 浜田和幸)

    アメリカの主要企業は、今日いずれも国防総省との軍需品契約に依存する比率を高めてきました。とりわけ、航空宇宙産業、電子情報通信産業の軍需に依存する割合は高く、航空宇宙産業の企業としてマクダネル・ダグラス(ボーイングに買収)、ゼネラル・ダイナミクス、ロックウェル・インタナショナル(ボーイングに買収)、ボーイング、ロッキード(ロッキード・マーティンに買収)、ユナイティド・テクノロジーなどの企業があり、電子情報通信産業の企業としてゼネラル・エレクトリック、ウェスティング・ハウス(ノースロップ・グラマンに買収)、ハネウェル(ゼネラル・エレクトリックに買収)、IBMなどが知られています。(『概説アメリカ経済』、63〜64頁)。
    イラク戦争直後の03年4〜6月期のアメリカのGDPは、前期比3.3%増を達成しましたが、このうち国防費の伸びは45.8%増でGDP増加への寄与度は個人消費に次いで第2位となりました。軍需企業の売上げでは、ロッキード・マーチンが1〜3月期に前年比18%の増収、ノースロップ・グラマンが4〜6月期で57%増を記録。ハイテク企業ではIBMが4〜6月期に同10%増を記録しています。
    戦後の復興事業は、軍隊を駐留させているアメリカの企業が独占していまます。アメリカの国際開発庁は道路などの整備に当たるベクテル社、油田修復のケロッグ・ブラウン・アンド・ルート社、港湾整備を行うスティーブドリング・サービシズ・オブ・アメリカ社、空港管理事業のスカイリンク・エア・アンド・ロジスティックサポート社等々への発注を開始しています。
    アフガンにしてもイラクにしても、それまでの独立国家を勝手にうち倒してアメリカの傀儡政権を樹立することで、石油等の利権を思うままにすることができるからです。アメリカはアフガニスタンに「半植民地」ともいえる親米政権を樹立することに成功しています。アフガンの大統領に就任したカルザイ氏は、アメリカの石油会社ユノカルのコンサルタントとして働いていたからです。 ブッシュ大統領は2004年9月7日、イラクやアフガニスタンの戦闘・復興のために、04会計年度補正予算として87億ドルを連邦議会に要請しました。この額は「第2次世界大戦以来最大」の軍事費となっていたそうです。

    (ワシントン・ポスト(The Washington Post))

  • アメリカの戦争と外交政策
    • 1918年8月〜1919年8月、シベリア出兵。
    • 1941年12月〜1945年8月、第二次世界大戦の米日戦争。
    • 1941年12月〜1945年5月、第二次世界大戦の米独戦争。
    • 1941年12月〜1943年9月、第二次世界大戦の米伊戦争。
    • 1950年6月〜1953年7月、朝鮮戦争。2012年、朝鮮戦争は停戦し、終結はしていない。
    • 1858年7月〜1958年10月、1958年のレバノン派兵。
    • 1961年4月、キューバ侵攻・ピッグス湾事件。
    • 1961年11月〜1973年3月、ベトナム戦争。
    • 1965年4月 〜1966年7月、1965年〜1966年のドミニカ共和国派兵。
    • 1970年4月〜1970年6月、カンボジア侵攻。
    • 1971年2月〜1970年6月、ラオス侵攻。
    • 1982年8月〜1984年2月、1982年〜1984年のレバノン派兵。
    • 1983年9月〜1984年4月、1983年〜1984年のニカラグア空爆。
    • 1983年10月、グレナダ侵攻。
    • 1986年4月、リビア空爆。
    • 1988年7月、イラン航空機撃墜事件。
    • 1989年12月、1989年のパナマ侵攻。
    • 1991年1月〜1991年3月、湾岸戦争。
    • 1992年12月〜1994年3月、ソマリア派兵。
    • 1993年1月、イラク空爆。
    • 1993年6月、イラク空爆。
    • 1994年9月〜1995年3月、1994年〜1995年のハイチ派兵。
    • 1995年8月〜1995年9月、ボスニア・ヘルツェゴビナ空爆。
    • 1996年9月、イラク空爆。
    • 1998年8月、スーダン空爆。
    • 1998年8月、アフガニスタン空爆。
    • 1998年12月、イラク空爆。
    • 1999年3月、コソボ空爆。
    • 2001年2月、イラク空爆。
    • 2001年10月、アフガニスタン戦争。
    • 2003年3月、イラク戦争。
    • 2003年8月〜2003年9月、リベリア派兵。
    • 2003年2月〜2003年6月、2003年のハイチ派兵。
    • 2007年1月、ソマリア空爆。
    • 2011年3月、リビア攻撃。

米国に戦争なしの繁栄はあり得るのか

イズィー・ストーン(I.F. Stone)『The Truman Era』
私たちは、戦争のない繁栄を持つことができますか(Can we have prosperity without war?)
1952年6月24日 ニューヨーク
戦争前夜の大騒ぎや軍需、そして戦争そのものなくして、アメリカ合衆国は経済を発展させ続けることができるのであろうか。
もし、米国が繁栄するには戦争しかないのであれば、他のことはどうでもよくなってしまう。ロシアが共産主義であれ資本主義であれ、またスターリンが妥協しなかろうと協調的であろうと問題ではない。ロシア勢力が昔の境界線まで撤退しようと、エルベ河とドナウ川沿いに依然として残っていようと問題ではない。中国が共産主義国のままであろうと、毛沢東が蒋介石を呼び戻し後を継がせようと、まったく問題ではないのである。
もし、戦争なくして米国が繁栄できないのなら、板門店で北朝鮮と韓国の和平合意を阻む障害がなくなるたびに新しい障害が見つけられるように、1つの戦争熱が消えるたびに米国はまた新しい戦争の口実をでっち上げることだろう。
だからといって米国とロシアの不和が真実ではないとか、米国の指導者が平和を求めるというその言葉が偽りだとか、和解に到達するのは本当は容易ではないというつもりはない。単に、人間同様、国家もその発言だけでは判断できないということなのである。
不安や最も楽な方法、すなわち正気の時に認めるにはあまりにも恐ろしい無意識的な確信は、人間だけでなく国家の行動にも影響を及ぼす。米国が平和を恐れているというのは、共産主義のプロパガンダだといわれている。しかし、米国の商業誌、経済誌を見れば、軍需景気が去ったらどうなるかという恐怖にいかに企業が取り憑かれているかが十分に理解できるはずである。
これらの不安は、ビジネスマンが『プラウダ』(元ソ連共産党中央機関紙)で読んだり、ラジオ・モスクワで聞いたことに起因するものではない。
人は2つの密接に関連した、しかし異なる質問を混同させることが多いため、問題が不明瞭になる。1つ目の質問は米国が戦争なしに繁栄できるかで、その答えは「できる」である。
1920年代、米国は戦争なしに繁栄し、30年代には戦争なしに復興した。米国は両方の経験から学んだ。米国が戦争前の大騒ぎや軍需、戦争そのもの抜きには繁栄できないということは、平和を求める闘争において敗北主義者になることであり、論理的にも経済的にもそれは真実ではない。
しかし、もう1つの質問は難しい。それは、米国人および米国政府が、戦争なしに米国の経済問題を解決するという共通の目的に対して意志と知性と意識を奮い起こすことができるか、ということである。
米国はずっとインフレ傾向の中でお祭り気分を味わってきた。米国経済を「浮かれさせ」続けている飲み物の主成分は、新たな戦争のための準備である。米国が冷静さをとり戻すのは不可能だと決めつけるのは間違っているかもしれない。しかし、浮かれた男が酒場で飲み過ぎても死ぬことはないと見るのもまた間違いであろう。
米国は戦争騒ぎや軍需、あるいは戦争そのもの抜きで繁栄することができる。しかし、そのためには痛みを伴う調整が不可欠である。平和の見通しがはっきりしないのは、その調整が痛みを伴うためである。
ある意味で米国は、外国貿易においては自由企業制を許可しながら、国内経済では自由企業性を規制した状況に適応する必要があるかもしれない。非共産主義世界は、戦争騒ぎを理由に米国議会からの恵まれた施しに永久に依存し続けることはできない。結局、平時に非共産圏が米国製品にとって安定市場となるのは、それと引き換えに、米国市場での自由な貿易でドルを稼ぐことが許された場合のみである。したがって、平時の米国を繁栄させるには、低い関税が欠かせないのだが、米国企業はすでに海外からの輸入に対して規制強化を求めている。
米国政府が民間企業と共に、あるいは経由して、また時には対立してでも米国経済の活動を最高レベルに保たなければ、非共産主義世界は繁栄できない。それは、関税障壁を低くすることと同様、民間企業の利益を無視することによってしか達成されない。そこが問題なのである。
不況につながるのではないかとして、米国は平和を恐れているという共産主義者の主張に対し、1952年6月の『ニューヨークタイムズ』紙にその回答となるJ.K.ガルブレイス教授の記事が掲載された。平和になったとしても、大規模な住宅建設や公共事業プロジェクトなどの政策により繁栄を促進することはできるとガルブレイスは記している。「つい最近わかったように、ミズーリー川はまだまだ人間の思い通りにはならないのである」と彼は述べたが、ミズーリー川よりもさらに荒々しいのは民間利益であり、それが軍需に代わる代替分野の隆盛を妨げている。
ガルブレイス教授は、米国国内や海外の生活水準を上げるために政府主導で支出を行えば、戦争の大騒ぎや軍需に代わる効果が上がるとして、米国が平和を恐れているという共産主義者の主張が間違っていることを証明しようとした。実際に、そうした手段をとれば軍需や戦争など必要ないのである。
しかし、国内の大企業や財界に嫌な顔をされるくらいなら、スターリンを敵に回す方がずっとましである。さらにミズーリー川やセントローレンス川の氾濫を食い止めるために議会から予算を出させるよりも、共産主義の封じ込めの名目で予算を出させる方がはるかに簡単なのである。
米国の生産性は驚異的に伸びた。戦争が米国を滅ぼすのに対し、平和は我々の生きている間に米国内の貧困を撲滅し、そして海外の貧窮を軽減するであろう。しかし、こうした政策こそ、1932年の大統領選にルーズベルトが勝つと同時に副大統領の座から外されたワレスが掲げていた政策である。また、これこそがその昔「共産主義的だ」としてばかにされたニューディール政策なのである。
軍需と同レベルの需要を他の分野で肩代わりするには、わずかばかりの公共事業では足りない。結局は、戦争で新しい貧困街を作るか、または平時に古くからの貧困街を一掃するかのいずれかなのである。必要とされる支出と政策の規模には、どのような政治家も二の足を踏む。ごく小規模な住宅政策を採用したタフト大統領でさえ共産主義者と呼ばれた。現在、軍備に使われている数十億ドルを国民生活の向上のために使おうなどと、誰がいい出せるだろう。
平時の繁栄のために必要な経済政策を、ただ紙の上で計画するだけなら簡単である。難しいのは、これらの政策を実現可能とする政治的決意を奮い起こさせることだ。冷戦は大惨事に身を任せる方が気楽だという雰囲気を作り上げた。平和の主たる障害はここにある。
The Truman Era
by I.F. Stone
p113
Can we have prosperity without war?
New York, June 24,19S2
Can the United States keep its economy going without war alarms, war orders, and war?
If the United States cannot prosper without war, then the rest does not matter. It does not matter whether Russia is Communist or capitalist. It does not matter whether Stalin is intransigent or conciliatory. It does not matter whether Russian power retreats to its old borders or remains on the Elbe and the Danube. It does not matter whether China remains Communist or Mao Tse-tung invites Chiang Kai-shek to come back and take over.
If the United States cannot prosper without war, then new excuses for war fevers will be manufactured as the old ones disappear, just as at Panmunjom new obstacles to agreement have been found when older ones were cleared away.
This does not mean that American disagreements with Russia are not real, or that American leaders are "insincere" when they claim to want peace, or that there are not genuine difficulties in the way of reaching a settlement. But nations, like men, cannot be judged merely by what they say.
Anxieties, lines of least resistance, unconscious convictions too fearful to be faced in the full daylight of the mind, affect the conduct of nations as well as men. It is said to be Communist propaganda that America fears peace. But no one can read the commercial and financial journals of this country with any regularity without seeing the extent to which business is haunted by a fear of what will happen if the armament boom falls off.
These anxieties cannot be attributed to something that businessmen read in Pravda, or hear about on Radio Moscow.
The problem is muddied because people often confuse two closely related but different questions. One question is: Can America prosper without war? To this the answer is Yes.
We had prosperity without war in the '20s. We had recovery without war in the '30s. We learned from both experiences. It would be defeatist in the struggle for peace, and it would be untrue from the standpoint of logic and economics, to say that America cannot prosper without war alarms, war orders, and war.
The other question, however, is a harder one. Can the American people and the American government muster the will, the intelligence, and the sense of common purpose to solve their economic problems without war?
The United States has been on an inflationary binge. The main component in the drink which has kept its economy "high" is preparation for a new war. It would be wrong to say that the United States cannot possibly pull itself together. But it would also be wrong not to see that it is a lot easier for that rosy gent at the bar to go on drinking himself to death.
The United States can prosper without war alarms, war orders, and war, but only at the cost of some painful adjustments. It is the painfulness of these adjustments which makes the outlook for peace so precarious.
In a sense it might be said that we need to allow more free enterprise in our foreign trade while accustoming ourselves to less in our domestic economy. The non-Communist world cannot go on forever living on the handouts which war alarms extort from Congress. Ultimately, in peacetime, it can be a stable market for American goods only if permitted to earn dollars in return by trading more freely in the American market. Lower tariffs are essential to a prosperous peacetime America, but American business is even now asking greater restrictions against foreign imports.
The non-Communist world cannot prosper unless the United States government, working with, through, and on occasion against, private business, keeps the American economy at a high level of activity. This, like the lowering of tariff barriers, can only be achieved by overriding private interests. There's the rub.
In last Sunday's New York Times, Professor J. K. Galbraith wrote an article which purported to answer "the Communist argument that we fear peace would bring on depression." Professor Galbraith said that if peace broke out we could promote prosperity by such measures as "a vigorous housing and public works program." He said, "The Missouri, as we have recently been reminded, is still untamed." More untamed than the Missouri are the private interests which block such alternatives to war orders.
Professor Galbraith "proves" that fear of peace is a Communist lie by saying that government-directed spending to raise living standards at home and abroad could take the place of war orders and war alarms. So they could.
But it is a lot easier to make faces at Stalin than at the power trust. It is a lot easier to get appropriations out of Congress to contain Communism than to contain the Missouri and the St. Lawrence. American productivity has grown terrifying in its enormity. Where war would ruin America, peace would now make possible within our lifetimes the complete eradication of poverty in our own land and much alleviation of misery elsewhere. But this is where Roosevelt came in and Wallace went out. This is the old New Deal program long ago hooted down as "communistic."
To replace war orders at anywhere near the present level would require far more than marginal public works. Either we create new slums in war or wipe out the old ones in peace. The magnitude of spending and planning necessary is enough to make any politician falter. Taft himself was called a Red for a very minor housing program. Who today would dare talk of the domestic improvements necessary to replace the billions being spent on armament?
It is not difficult to plot on paper the economic measures necessary for prosperity in a peaceful world. It is difficult to muster the political resolution to make those measures feasible. The Cold War has created an atmosphere which makes it more comfortable to drift on to catastrophe. Here lies the main roadblock to peace.
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