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益子焼

焼き物の制作工程

  • 土練り(つちねり)
    土を、成形し易いように練ることです。土の種類には様々なものがあり、産地によって特徴もまた違ってきます。土練りは、粘土を成形するとき作業しやすくするために土の状態を整えておくためのものです。また、焼成時に破損がでないように空気を抜き、粘土全体を均一にするためでもあります。土練りにもある程度の技術が必要で、荒練りや、菊練りなどなどがあります。
  • 成形
    形を作ることで、様々な手法や道具が無限のようにあります。押す、切る、削る、付ける、延ばす。水分を調節し、硬くしたり、柔らかくしたり、液状にすることもできます。
    • 手びねり
      陶芸の成形技法でもっとも原始的な方法です。粘土のかたまりを手でつまみ出したり、ひねり出したりして形を作ります。
    • ひもづくり
      ひも状にした粘土を順に巻き上げていく方法と、ひもを輪にして積み重ねていく方法があり、ヘラなどでたたきながら形を整えていきます。
    • 板づくり
      板づくりは粘土を板状にして作品を作る技法です。たたら板と切り針金、のし棒などを使って粘土の板を作り、板そのもので陶板を作ることもでき、箱物は板をどべ(土のり)で接合して製作します。
    • ろくろ
      手に水をつけ回転するろくろに置いた土を変形させて作ります。水を用いることで回転する土に対して、すべりが良くなり力を加えるだけで形を変えていきます。なおかつ,平滑でなめらかな土肌にすることができるので、昔から食器等の食器などの量産は、この方法を用いています。設備上で焼き物の成形作業として基本的な道具です。
  • 乾燥
    成形した作品は20日ほど陰干しして乾燥させます。
  • 素焼き
    乾燥後、温度600℃〜900℃位で焼成し、素焼きをします。素焼きをした素地は非常に吸水性に優れ、硬くなり、絵付けや釉薬をかけるのに適した状態になります。少しずつ温度を上げていき、300℃以下で3時間程、700℃ぐらいで5時間ほど焼きます。
  • 施釉(せゆう)
    素焼きが終わった製品に釉薬(ゆうやく)をかけることで、多くの釉薬が存在します。ガラスを形成する酸化物が基本で、焼成することによって表面をガラス質にし水分の浸透を防ぐ効果や、いろいろに発色し装飾的効果を生みます。 外観から分類すると、透明釉、不透明釉、つや消し釉、色釉、結晶釉、亀裂釉、窯変釉、油滴釉などになり、施釉の方法は、浸し掛け、吹きかけ、流し掛け、塗り掛けなどがあります。 釉薬は、うわぐすりとも言い土に施すことによって焼成した時に土と結びつき、化学変化を起こして生まれます。さらに土と結びついた釉薬は、作品に強度を与えます。
  • 焼成(しょうせい)
    焼成は,やきものづくりの最終工程で、焼成方法は様々です。陶芸窯(がま)を使うのが一般的で、薪を使って焼成する登り窯や穴窯、現在では加熱に灯油、ガス、電気などが使用されています。焼成の方法には酸化焼成と還元焼成があります。酸化焼成は、空気(酸素)を十分に送り焼成することで、還元焼成は、空気(酸素)の量を減らし粘土の中の酸素を燃焼酸素として取り除く焼成方法です。(鉄の精錬) 酸化焼成で、酸化鉄(さんかてつ)が2%くらい含まれた釉薬(ゆうやく)を焼成すると、黄色または淡い茶色に発色します。ところが同じものを、還元焼成すると淡青色になります。 電気炉の場合燃焼に酸素を使用しないため酸化焼成となり、ガス炉の場合はガスの燃焼に酸素が必要なため比較的、還元焼成となります。

焼き物の種類

焼き物にはいろいろな種類があります。大きく分類すると、土器(どき)・陶器(とうき)・b器(せっき)及び磁器(じき)の4つに分けられます。土器は焼き物の歴史の中で、最も古く原始的なもので、次に陶器、b器がつくられ、一番新しいのが磁器です。
  • 土器(どき)は、縄文式土器や弥生式土器などがそれで、最も古い歴史をもつ焼き物です。施釉(せゆう)はせずに焼かれた素焼きの物で、素地は気孔が多く、陶器や磁器に比べて吸水性が高く、液体の入れ物には不向きです。焼成温度は550℃〜900℃。現在では、黒瓦、赤レンガ、こんろ、植木鉢等に用いられています。
  • ■陶器(とうき)は、陶土(とうど)とよばれる粘土に、長石や珪石などを混ぜ、練って中の空気を出し、十分乾燥し、1100℃〜1300℃で焼成して作ります。土器の割れやすい欠点を補い、吸水性を釉薬(うわぐすり)をかけることで改良したものです。 薩摩焼・粟田焼・志野・織部などの焼き物は陶器(とうき)に分類されます。 b器(せっき)は、陶器と磁器の中間的な性質を持つ焼き物の分類で半磁器の性質をもつ焼き物。焼き締めとも呼ばれます。須恵器、備前焼、信楽焼、常滑焼、などの焼き物はb器(せっき)に分類されます。
  • b器(せっき)は、陶器と磁器の中間的な性質を持った焼き物です。陶器や土器は土物と呼ばれ吸水性がありますが、磁器やb器は石物と呼ばれて吸水性はほとんどありません。素地(きじ)と釉薬(うわぐすり)が高温で焼き締められ、衝撃強度、耐摩耗性、耐熱性(急熱、急冷)などに優れています。
  • 磁器(じき)は中国が発祥の地です。陶石(とうせき)とよばれる岩石を粉砕した石粉に、カオリン・長石・珪石や粘土を混ぜたものを主な原料としています。磁器は下地の白さとなめらかな表面を活かし染付けや絵付けができることも特徴です。焼成温度は1200℃〜1500℃で、やきものの中で最も高温でやかれます。 磁器の中の珪石と長石がガラス化し、出来上がった器の色は白色で硬い性質をもちます。また、素地が細かく気孔が少ないので、吸水性はありません。光にかざすと透けて見え、指でたたくと高い金属音がします。 b器と磁器の違いは、磁器が薄手で透光性があり白色であるのにくらべ、b器(せっき)は透光性がなく有色です。 清水焼・有田焼・九谷焼・瀬戸磁器などの焼き物は磁器(じき)に分類されます。  

益子焼の歴史

益子焼は、栃木県芳賀郡益子町周辺の陶器で、笠間箱田村(現在の茨城県笠間市)の住職、雄山大周の元に住み込んで手ほどきを得、益子の大塚家に婿入りした大塚啓三郎(おおつかけいざぶろう)が、1853年(嘉永6年)、農業に従事するかたわら、同村の大津沢に陶土を発見し、陶器製造を始めたことが最初と言われています。
  • 益子は江戸時代、下野国那須郡(しもつけのくになすぐん)の黒羽藩領(現在の栃木県大田原市前田)でした。黒羽藩主大関増昭は、大塚啓三郎のやきものに着目し、根小屋(ねごや)の土地を与え、啓三郎は益子に窯を築いたと言われています。
  • 築窯後、啓三郎は笠間の友人で、相馬焼と笠間焼の技術を身につけた陶工、田中長平を招き、産業としての製陶を軌道に乗せたと言われています。笠間焼自体が信楽焼の流れを汲んでいるため、益子焼は相馬焼・信楽焼・笠間焼の影響を受けて始まったと言えます。
  • 1870年(明治2年)には窯元が約20軒になったそうで、主な製品は、かめ・すり鉢・土鍋や土瓶などの庶民の台所用品だったそうです。
  • 1889年(明治22年)に駅売りのお茶が登場しました。その容器は土瓶で、使い捨てのため当初は2級品が使われましたが、消費量が増えるに従って専用の「汽車土瓶」が大量生産されるようになり、東日本の広範囲で使用されたと言われています。
  • 終戦後、生活様式の変化に伴い、台所用品の需要は減り始め、製品の中心を台所用品から民芸品へと転換したそうです。その手本となったのが陶芸家の濱田庄司(はまだしょうじ)氏だったそうで、今日の益子焼の作風の原点となっています。

益子焼の特徴

益子の土は珪酸分の多い鉄分を含むため、粘りが少なく耐火度が低いため厚手の成形になります。施釉は、芦沼石の粉末・籾殻灰・わら灰・木灰等を主成分とした、黒釉・糖白釉・柿釉などの流しがけで行われ、絵具は酸化鉄・酸化銅・コバルト・マンガン等が顔料として用いられ、作風も限られたことが、益子焼の特徴となったと言えます。