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旅2006年 (Journey 2006)

台湾:九份の基隆湾

台湾:九份の基隆湾(チーロンカン)

九份は、台湾北部の港町基隆の近郊、台北県瑞芳鎮に位置する山あいの町です。19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町は発展しました。日清戦争後の1895年、台湾は日本の植民地となり日本の財閥(藤田組)が金鉱を管理しますが、1897年、台湾の事業家、顔雲年(イェン・ユンニェン)に譲られて、顔(イェン)家(台陽鉱業)が九份のオーナーになります。戦後、顔(イェン)家の台陽公司のもとで金の採掘が行われ、住民は数万人に膨れ上がったそうですが、次第に金脈が枯渇し1971年に閉山されてから町は急速に衰退し、人々から忘れ去られた存在となりました。しかし、ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞した「悲情城市」のロケ地として使われたこと、日本では「千と千尋の神隠し」の参考になった街として紹介されたため、再び脚光を浴びることとなりました。
基隆湾(チーロンカン)は、「陰陽海」とも言われていて、写真ではわかりませんが、黄色とブルーの海でも知られています。当初は台金会社の精練の汚れだと思われていたそうですが、金瓜石の黄鉄鉱が海の中で、黄色く変化したもののようです。先は東シナ海です。
顔(イェン)家は台湾の5大財閥、顔(イェン)一族の長男、顔恵民(イェン・フイミン)は、日本の女性歌手「一青 窈」の父親。一青、は母方の姓だそうです。

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