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旅2004年 (Journey 2004)

高知県:桂浜の坂本龍馬像

高知県:桂浜の坂本龍馬像

桂浜(かつらはま)は、高知県高知市南部に位置し太平洋に臨む海岸で、上竜頭岬が北東端に、下竜頭岬が南西端にあり、その間に挟まれて弓形に砂浜が延びています。
坂本龍馬像は、竜頭岬の丘の上にあり、1928年(昭和3年)に完成したもので、和服姿に懐手、履いているのはブーツです。像の高さは台座を含め約13.4m。
『坂本龍馬は高知の城下町に住む郷土の次男として生まれ(1835年)、青年時代江戸に出、千葉道場で北辰一刀流を学び剣士として知られているが、文久元年(1861年)、いち早く武市半平太(瑞山)の土佐勤王党に参加した。後、脱藩して勝海舟に師事して海軍建設を計画し又、長州(山口県)の桂小五郎(木戸孝允)、薩摩(鹿児島)の西郷隆盛を説いて慶応2年(1866年)薩長両藩の同盟協約を成功させ長州に押し寄せた幕府軍(徳川方)を撃破した。これを機会に討幕運動が高まったが、龍馬はこの薩長同盟の勢力に土佐藩を加え、これを背景とする王政復古を考え、土佐藩の参政後藤象二郎を説き、立憲的な議会制度を基とする新政府の出現を期した。山内容堂(15代藩主)は後藤の提案を受け入れて慶応3年(1867年)10月3日将軍慶喜に大政奉還を建白した。 将軍も時勢を察し、10月14日に政権返上を朝廷に上奏した。龍馬はこれを喜び新政府創立に奔走したが11月15日京都河原町近江屋で幕府方の刺客に襲われ、同志中岡慎太郎とともに凶刃に倒れた。龍馬は海援隊長。慎太郎は陸援隊長として土佐藩の遊軍をつくり、その活躍が期待されたが、幕末の新旧勢力対立の犠牲となった。時に龍馬は33歳、慎太郎は30歳であった。』(坂本龍馬の横顔より)

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