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序論(Introduction)

フィリピンの歴史は、約333年間のスペインによる植民地化、48年間のアメリカによる植民地化、そして日本による3年間の植民地化と侵略の歴史でした。、

年表(Chronology)

  • イスラム時代 1450年〜1564年
    • 200.B.C. 現在のフィリピン諸島に東南アジアからイフガオ、ボントク族などが移住。
    • 0100年、現在のフィリピン諸島に東南アジアからビサヤ、タガログ、イロカノ、パンパンガ族などが移住。
    • 1300年、現在のフィリピン諸島南部にムスリム系マレー人(モロ族)が進出。
    • 1380年、スマトラのラジャ・バギンダ、スル諸島を征服。
    • 1450年、フェルディナンド・マゼラン率いるスペイン船団、セブ島に到着し、キリスト教を伝える。
    • 1475年、世界周航中のマゼラン船隊、サマール島に上陸。
    • 1521年、フェルディナンド・マゼラン、マクタン島の領主ラプラプの率いるマクタン島原住民との戦闘中に殺される。
    • 1525年、スペインのサベドラ探検隊、メキシコから現在のフィリピン諸島に向かう。
    • 1529年、スペインのビラロボス探検隊、フェリペ皇太子にちなんでフィリピン諸島と命名。
    • 1543年、ミゲル・ロペス・デ・レガスピの遠征隊、メキシコからセブ島に到着し占領、スペイン植民地確立。
    • 1559年、フェリペ2世の命により、ミゲル・ロペス・デ・レガスピを司令官とする遠征隊がメキシコよりフィリピンに向けて出発。
    • 1565年、レガスピ遠征隊、パナイ島を征服。
    • 1569年、レガスピ隊、ムスリム王ラジャ・ソリマンを退けマニラを占領。 レガスピ初代総督に。
    • 1570年、スペイン軍マニラ占領。初代総督ミゲル・ロペス・デ・レガスピ、マニラを首都に定める。
    • 1572年、中国の海賊、リ・マ・ホン(林阿鳳)の大船隊、フィリピンを攻撃、パンガシナン地方を一時支配。
    • 1578年、スペイン、ホロ島攻撃。モロ族(ムスリム系マレー人)征服戦争はじまる。
    •    同年、パンパンガ地方で反乱起こる。
    • 1581年、フェリペ2世の命により、フィリピンからモルッカ諸島に征服隊が送られ、オランダとの諸島争奪が始まる。
    • 1584年、パンパンガ地方でエンコメンデーロに対する反乱。
    • 1589年、カガヤン地方イロコス地方で貢税制度に対する反乱。
    • 1592年、木版印刷による祈祷書「ドクトリナ・クリスチアーナ」が出版される。
    • 1596年、秀吉のキリシタン弾圧により、ペドロ・バウチスタ神父が殉教。
    • 1599年、マリベレスの海戦。オランダのフィリピン攻撃始まる。
    • 1600年、初めての中国人反乱。
    • 1601年、マニラで最初の中国人(華僑)反乱。
    • 1606年、カガヤン地方で反乱起こる。
    • 1610年、サント・トマス大学開校。
    •    同年、マニラで日本人が追放命令に抗議して反乱。
    •    同年、日本を追放されたキリシタン大名、高山右近の一行がマニラに到着。
    • 1620年、カガヤン地方で反乱。
    • 1621年、マニラの日本人人口、3000人に達する(鎖国後、減少)。
    • 1622年、再び、オランダ・スペイン海戦。
    • 1635年、コンクエラ総督のミンダナオ・スル地方遠征。スルタン・クダラットと戦う。
    • 1639年、カガヤン地方で再び反乱。
    • 1647年、オランダ船隊、フィリピン攻撃。
    • 1649年、パンパンガ地方パンガシナン地方イロコス地方でスペイン当局の労働徴用・貢税政策に対する反乱。
    • 1662年、スペイン、モルッカ諸島を放棄。
    • 1683年、マニラで4度目の中国人(華僑)反乱。スペイン、非キリスト教徒中国人を追放。
    • 1703年、ボホール島でダゴホイの一党が山岳にたてこもり、1829年まで抵抗。
    • 1745年、イギリス軍マニラ占領。
    •    同年、最後の中国人(華僑)反乱。
    • 1861年、ホセ・リサール、ラグナ州カラムバ町で誕生。
    • 1762年、中国人追放(イギリスのマニラ占領に協力を理由)。中国系メスティーソ層の経済力向上の契機。
    • 1763年、王立フィリピン会社設立。
    • 1768年、原住民在俗司祭養成のための最初の司教区神学校。
    • 1774年、教区司祭の在俗僧化を推進する勅令。
    • 1778年、国民経済同友会創立。
    • 1782年、植民地政庁によるタバコの強制栽培・専売制度始まる。
    • 1785年、酒類の専売制度始まる。
    • 1807年、イロコス地方で酒類専売制度(地酒の禁止)に抗議する反乱。
    • 1809年、スペイン議会にフィリピン代表が参加。
    •    同年、メキシコ独立、スペイン本国の直轄地となる。
    • 1814年、イロコス地方でサラットの乱。
    • 1818年、メキシコの独立に伴い、フィリピンはスペイン直轄植民地になる。
    • 1826年、初めてのフィリピン系銀行(ロドリゲス銀行)。
    • 1834年、スペイン自由主義革命による暫定共和国、デ・ラ・トレ総督を派遣、歓迎される。
    •    同年、マニラ開港(外国貿易に開放)。 スペイン議会に再びフィリピン代表が参加。
    • 1840年、最初の日刊紙「ラ・エスペランサ」創刊。
    • 1848年、ペドロ・ペラエス神父ら原住民在俗司祭、修道会の教区強奪に対する抗議運動を開始。
    • 1849年、カビテ州の全ての聖堂区が修道会(レコレート会)に移管される。
    • 1869年、 前年の自由主義革命で成立したスペイン共和政府、デ・ラ・トレ総督を派遣。
    •    同年、「自由のセレナーデ」催される。
    •    同年、治安警察隊創設。
    • 1871年、ゴンブルザ事件、以降フィリピン人神父、知識人に対する弾圧強化。
    •    同年、デ・ラ・トレ更迭、保守派のイスクエルド総督が着任。
    • 1872年、カビテ州の兵器廠で兵士・労働者の暴動。
    •    同年、カビテ暴動の責任を問われホセ・ブルゴス神父ら3人のフィリピン人高僧が処刑される(ゴンブルサ事件)。
    • 1873年、イギリス系のインド・オーストラリア・中国銀行が進出。
    • 1873年、マニラ・スペイン航路開設。
    • 1876年、イギリス系の香港上海銀行が進出。
    • 1877年、ホセ・リサール、アテネオ・ムニシパルで中等教育を終了し、同年サント・トマス大学へ入学。
    • 1880年、ルソン・スペイン海底電線敷設。
    • 1881年、G・サンシアンコ『フィリピンの進歩:経済的研究』出版。
    • 1882年、日刊紙『タガログ毎日』創刊。
    •    同年、ホセ・リサール、スペインへ出発。同年末、マドリッド中央大学へ入学。
    • 1883年、タバコ強制栽培・専売制度廃止。
    •    同年、ホセ・リサール、フリーメーソンに加入。
    • 1884年、税制改正。強制労働が年40日から15日に減じられる一方、人頭税が大幅に引き上げられる。
    •    同年、ホセ・リサール、医学コース終了。 学位を受ける。
    • 1887年、デル・ピラールの『フィリピンにおける僧侶支配体制』、ホセ・リサールの『フィリピン諸島誌注釈』などが出版。
    •    同年、ホセ・リサール、「ノリ・メ・タンヘレ(Noli Me Tangere)」、をベルリンで公刊。フィリピンへ一時帰国。
    •    同年、修道会アシエンダの地代値上げに抗議するカランバ事件。
    • 1888年、ホセ・リサール、国外退去の勧告を受け、出国、2月〜4月を日本で過ごし、6月ロンドンへ着く。
    •    同年、雑誌「ラ・ソリダリダード(La Solidaridad)」連帯を創刊。
    • 1890年、マニラに電話線開通。
    • 1891年、ホセ・リサールエル・フィリブステリスモ」(El Filibusterismo)」出版。
    •    同年、スペインの輸入品を保護する新関税制度発足。
    •    同年、マニラ〜ダグパン鉄道開通
    • 1892年、ホセ・リサール帰国。「フィリピン同盟」を結成。
    •    同年、パテルノ「タガログ古代文明におけるキリスト教「バランガイ」出版。
    •    同年、ホセ・リサール、ダピタン島へ流刑。
    •    同年、独立革命をめざす秘密結社カティプーナン結成。
    • 1895年、「団結」廃刊。
    • 1896年、カティプーナンの存在が発覚。
    •    同年、カティプーナン機関誌「カラヤーン(自由)」創刊号発行。地方組織拡大の契機に。
    •    同年、日本海軍練習艦金剛マニラに入港、カティプーナン代表が支援要請。
    •    同年、ホセ・リサールの流刑生活が終わり、スペインに到着。カティプナンの独立闘争が開始され逮捕。
    •    同年、アンドレス・ボニファシオ、武装蜂起(バリンタワクの叫び)。
    •    同年、エミリオ・アギナルド、カビーテで武装蜂起。
    •    同年、ホセ・リサール、ルネタ(Luneta)で銃殺。
    • 1897年、米西戦争勃発、米軍マニラ占領。
    •    同年、エミリオ・アギナルド、カビーテでフィリピン独立を宣言。
    •    同年、市街地家屋税、商工業税が新設される。
    • 1898年、グレゴリオ・アグリパイ神父、フィリピン独立革命軍従軍司教総代理に任命。
    •    同年、パリ講和条約でフィリピンの領有権が米国に移る。
    •    同年、砂糖プランテーション地帯の西ネグロスが独自の州政府樹立。
    •    同年、米マッキンレー大統領、「友愛的同化」宣言。
    • 1899年、アーサー・マッカーサー軍政長官に就任
    •    同年、エミリオ・アギナルド、ルソン島北部山岳地帯に逃避。正規軍の解体とゲリラ戦の開始を指示。
    •    同年、シャーマン委員会、自治政府構想を発表。
    •    同年、フィリピン革命支援のための日本陸軍払い下げ武器・弾薬を積んだ布引丸が上海沖で台風により沈没。
    •    同年、フィリピン共和国(マロロス共和国)樹立。この頃までに、ルソン島、ビサヤ諸島の大半は革命政府が掌握。
    •    同年、アポリナリオ・マビニの呼びかけにより民族教会設立会議が開催される。
    •    同年、アポリナリオ・マビニ革命政府首相、外務大臣に任命される。
    •    同年、第1次フィリピン(シャーマン)委員会が到着。
    •    同年、米軍と独立革命軍の戦闘が始まる(米戦争)。
    • 1900年、ゲリラ鎮圧に苦戦する中、オーティス米軍政長官更迭。後任にアーサー・マッカーサー将軍が就任。
    •    同年、パテルノらにより「特赦祭」。
    •    同年、マッカーサー軍政長官、投降者の無条件特赦を宣言。
    •    同年、米統治との協調をうたう連邦党結成。
    •    同年、立法の全権が軍政長官からウィリアム・タフトに移管。
    •    同年、エミリオ・アギナルド逮捕、米国に忠誠を誓う。
    • 1901年、ウィリアム・タフト民政長官に就任、平定地域の地方政府樹立のため全土を巡回。
    •    同年、フィリピン委員会、非キリスト教諸部族対策局設置。
    •    同年、アポリナリオ・マビニら降伏拒否者、グアムに流刑される
    •    同年、町自治法制定。
    •    同年、米議会にて、フィリピン組織法成立。米ルーズベルト大統領、フィリピン平定宣言。
    • 1902年、1902年フィリピン組織法。
    •    同年、フィリピン独立教会の正式発足式。最高司教にグレゴリオ・アグリパイが就任。
    •    同年、フィリピン独立教会の創立が宣言される。
    •    同年、米ルーズベルト大統領、フィリピン平定完了宣言。しかし、各地でゲリラ的抵抗は継続。
    •    同年、米議会、フィリピン農産物関税を25%引き下げ。
    • 1903年、官費米国留学制度成立。1912年までに200名以上が留学、各界の指導者に。
    •    同年、米統治下で第1回国勢調査。
    • 1904年、ウィリアム・タフト、陸軍長官就任のため総督を辞任。後任にルーク・E・ライト。
    •    同年、国内歳入法制定。
    •    同年、通貨法制定。
    • 1905年、カビテ州でゲリラ残党が警察軍を襲撃。人身保護令が一時、停止される。
    • 1906年、ジェームズ・F・スミス総督就任。
    •    同年、ブラカン州でフェリペ・サルバドールの反乱。
    •    同年、州知事・役員選挙。
    •    同年、民族独立を綱領とする政党禁止令廃止。
    • 1907年、米民主党政権によるハリソン総督就任、自治化を推進。
    • 1908年、官立フィリピン大学設置法案成立。
    •    同年、政経外社科文 AB スミス総督退任。
    • 1909年、マニュエル・ケソン、フィリピン議会駐米代表として米国議会で初演説。
    • 1915年、マニラ鉄道が国有化される。
    •    同年、米国議会ジョーンズ法可決。二院制となり、上院議長マニュエル・ケソン、下院議長セルヒオ・オスメニャ
    • 1916年、ジョーンズ法。「安定した統治の確立」を条件に将来の独立付与方針を示し、大幅な自治化を定める。
    •    同年、フィリピン国立銀行設立される。フィリピン糖業の基盤整備に大規模な融資。
    • 1918年、総督の諮問機関として国家評議会設立。
    • 1921年、ウッド総督就任。自治化政策の修正路線でフィリピン議会と激しく対立。
    • 1923年、ウッド総督の統治政策に抗議して、マニュエル・ケソン以下、内閣及び国家評議会フィリピン人メンバーが総辞職。
    •    同年、社会党結党
    • 1927年、インドネシア共産党の最高幹部タン・マラカ、マニラで逮捕される。
    • 1928年、KMPM(全国農民組合)結成。中部ルソン農民運動の組織化が本格化する。
    •    同年、フーバー政権国務長官に転出。
    •    同年、米議会ティンバーレーク決議、フィリピン砂糖輸入制限求める。
    • 1929年、パンパンガ州で社会党結成。
    • 1930年、カリフォルニア州ワトソンBIルで大規模な反フィリピン人暴動、青年1名が死亡。
    •    同年、スペイン第2共和国に。アルカラ・サモーラが大統領に。
    •    同年、 パンガシナンで反米の反乱
    •    同年、フィリピン共産党創立。
    •    同年、ベニグノ・ラモスによるタガログ語新聞「サクダル」創刊。
    •    同年、米議会でフィリピン人移民排斥法公聴会。
    • 1931年、ハーレー陸軍長官の訪報告に基づき、フーバー大統領、フィリピンの独立に反対する方針を表明。
    •    同年、パンガシナン州で反米・反地主を主張するコロルムの反乱、即日警察軍に鎮圧される(タユグ蜂起)。
    • 1932年、マニュエル・ケソン、独立法に反対の意志表明。
    •    同年、フィリピン議会使節団(オスメーニャ・ロハス使節団)、ワシントン到着。
    •    同年、最高裁、フィリピン共産党を非合法化。
    •    同年、米議会下院、フィリピン独立法可決。
    •    同年、米議会上院、フィリピン独立法可決。
    • 1933年、サクダル党結成。
    •    同年、フィリピン議会、独立法受諾を拒否。
    •    同年、フランク・マーフィー、総督に着任。ニューディール政策の立場から統治にあたる。
    •    同年、新独立法の採択を求めるケソン使節団、ワシントン到着。
    •    同年、大統領拒否権を乗り越えて、フィリピン独立法(ヘア・ホーズ・カッティング法)が成立。
    • 1934年、米議会で前年とほぼ同一内容の独立法(タイディングス・マクダフィー法)が成立。
    •    同年、フィリピン議会、タイディングス・マクダフィー法を受諾。
    •    同年、フィリピン議会選挙でサクダル党が反地主勢力として初めて議会に進出。
  • 独立準備政府(コモンウェルス)時代 1935年〜1945年
    • 1935年、自治政府コモンウェルス発足。初代大統領にマニュエル・ケソン、米初代高等弁務官にマーフィー就任。
    •    同年、サクダル蜂起。警察軍に弾圧される。
    •    同年、フィリピン軍、米極東軍(USAFFE)に統合。日米開戦。
    •    同年、憲法批准国民投票。
    •    同年、総選挙でマニュエル・ケソン、オスメーニャがコモンウェルス政府初代の正副大統領に選出される。
    • 1936年、マニュエル・ケソン大統領、共産党指導者を釈放。
    •    同年、マニュエル・ケソン大統領、日本人のダバオ入植問題について入植制限を行う必要はないと表明。
    • 1937年、マニュエル・ケソン米国務省共同声明。独立法改正交渉の開始が宣言される。
    •    同年、マニュエル・ケソン大統領、訪米途上に立ち寄った日本で天皇を表敬訪問。
    •    同年、タガログ語を国語の基礎とする大統領宣言。
    •    同年、女性参政権を認める国民投票。
    •    同年、椰子油税基金の送金が始まる。コモンウェルス政府財政の対米依存体質が深まる。
    • 1938年、マニュエル・ケソン大統領、日本を非公式訪問。亡命中のラモス、宇垣外相らと会談。
    •    同年、マクナット高等弁務官、独立見直しの必要性を表明。
    •    同年、共産党・社会党が合同、フィリピン共産党を再建される。
    •    同年、独立法改正問題に関する米合同準備委員会調査報告書調印。
    • 1939年、マニュエル・ケソン大統領、国防計画の縮小を指示。
    •    同年、改正独立法が成立(経済調整法)。翌日、セイヤー国務次官が高等弁務官に任命される。
    • 1940年、大統領任期制限を1期6年から2期8年への延長と上院の復活を認める憲法改正国民投票。
    • 1941年、コモンウェルス総選挙。マニュエル・ケソン、オスメーニャ正副大統領再選、全議席を与党国民党が独占。
    •    同年、マッカーサー、マニュエル・ケソン一行、マニラよりコレヒドール要塞に脱出。
    •    同年、ルーズベルト大統領命令により、フィリピン陸軍がマッカーサー指揮下の米極東陸軍に統合される。
    •    同年、日本軍(第14軍、本間雅晴司令官)、リンガエン湾に上陸。
    •    同年、日本軍、クラーク空軍基地を爆撃。米空軍を無力化。
    • 1942年、バルガスらマニラ残留の国民党指導者、日本軍政の命令に従う旨の返書を本間将軍に提出。
    •    同年、カリバピ(新生フィリピン奉仕団)発足(総裁、ベニグノ・S・アキノ)。
    •    同年、マニュエル・ケソン、ルーズベルト大統領にフィリピンの即時独立と中立化を認めるよう求める書簡を送る。
    •    同年、マニュエル・ケソン大統領一行、コレヒドール島を脱出。オーストラリアをへて、5月8日、米国到着、亡命政府を設立。
    •    同年、コレヒドール要塞陥落、在米軍降伏。
    •    同年、フィリピン共和国(第2次共和国)成立。ホセ・ラウレル大統領。
    •    同年、中部ルソン地方に抗日農民ゲリラ組織、フクバラハップ(抗日人民軍)結成。
    •    同年、東条首相、国会演説で大東亜共栄圏確立への協力を条件にフィリピンに独立を与える方針を表明。
    •    同年、日本軍マニラ占領。
    •    同年、隣組制度(DANAS)発足。
    • 1943年、フィリピン共和国(対日協力政府)が発足。ホセ・ラウレル大統領就任。
    •    同年、東条首相、マニラを訪問。
    •    同年、独立準備委員会発足(委員長、ホセ・ラウレル)。
    • 1944年、マニュエル・ケソン大統領死去。後任にオスメーニャ副大統領が昇格。
    •    同年、ホセ・ラウレル大統領、日本の圧力により「米英との戦争状態」を宣言。
    •    同年、ラモス、リカルテらによりマカピリ(フィリピン愛国連盟)結成。
    •    同年、ルーズベルト大統領、対日協力者の追放方針を表明。
    •    同年、米軍マニラ占領(コモンウェルス政府マニラへ)。
    •    同年、日本無条件降伏。
    •    同年、ホセ・ラウレル、亡命先の日本で共和国を解散。
    •    同年、米軍レイテ島上陸、オスメーニャ大統領、コモンウェルス政府の復帰を宣言。
    • 1945年、マロロスでフク団員多数が軍MPに殺される(マロロス事件)。
    •    同年、米軍、フクバラハップ幹部を逮捕・投獄。
    •    同年、米軍マニラ突入。
  • フィリピン共和国成立 1946年〜
    • 1946年 国語(タガログ語)を公用語のひとつにすることが定められる。
    •    同年、米比軍事基地協定、軍事援助協定。
    • 1948年、総選挙(腐敗選挙)、エルピディオ・キリノ再選。
    • 1950年、ラモン・マグサイサイ、大統領に当選。ABS(現在のABS-CBN)がテレビ本放送を開始。
    • 1953年、ラモン・マグサイサイ、国防長官を辞任、野党国民党入党を公表。「マグサイサイを大統領に」運動始まる。
    •    同年、国民党大統領候補のラモン・マグサイサイ前国防長官が自由党キリノに圧勝。
    • 1954年、ルイス・タルク投降。フク反乱の制圧、最終局面に。
    • 1956年、ラモン・マグサイサイ大統領、飛行機事故で死亡。カルロス・ガルシア副大統領が昇格。
    • 1957年、国民党カルロス・ガルシア大統領が再選される。
    • 1958年、タルク、終身刑判決を受ける。
    • 1959年、ボーレン・セラノ協定。基地使用に関する事前協議制度を認める。
    • 1960年、アイゼンハワー、現職大統領として初めてフィリピンを訪問。
    • 1961年、フェルディナンド・マルコスが大統領に当選。
    •    同年、ダクラス・マッカーサー、戦後はじめての、また生涯最後のフィリピン訪問。
    •    同年、自由党ディオスダド・マカパガル候補、カルロス・ガルシア大統領を破って当選。
    • 1962年、サバ領有権を宣言。マラヤとのあいだにサバ問題おこる。
    •    同年、ディオスダド・マカパガル大統領、輸入規制を撤廃。
    • 1963年、1963年土地改革法成立。
    • 1964年、エミリオ・アギナルド死去(1869-)。
    •    同年、クラーク空軍基地で米軍人によるフィリピン人射殺事件。裁判権問題で米への批判高まる。
    • 1965年、国民党フェルディナンド・マルコス上院議員、自由党ディオスダド・マカパガル大統領を破って当選。
    • 1966年、フィリピン共産党(中国派)創設。ミンダナオ独立運動。
    •    同年、べトナム参戦国首脳会議。大規模な反戦デモ。
    •    同年、フェルディナンド・マルコス訪米。軍事基地の使用期限を1991年までに短縮するラスク=ラモス協定締結。
    •    同年、マレーシアと国交再開。
    • 1968年、ミンダナオ独立運動が盛んになる。
    •    同年、フェルディナンド・マルコス大統領、ルイス・タルクら政治犯に特赦。
    •    同年、毛沢東主義共産党結成。
    • 1969年、フェルディナンド・マルコス戒厳令布告。軍隊が政府機能を掌握。イスラム教徒の反乱、内戦状態へ。
    •    同年、フィリピン部隊、ベトナムから撤兵。
    •    同年、フェルディナンド・マルコス大統領、再選される。
    •    同年、共産党軍事組織、新人民軍(NPA)結成される。
    • 1970年、フェルディナンド・マルコス大統領、3期目再選は目指さないと表明。
    •    同年、フェルディナンド・マルコス大統領、学生運動に対して戒厳令布告の可能性を警告。
    •    同年、学生デモ、米大使館を襲う。
    •    同年、反米・反政府ゼネ・ストが行われる。マニラで大地震。
    •    同年、モロ民族解放戦線「MNLF」設立。
    • 1971年、中間選挙が流血の混乱の中で行われる。野党自由党が圧勝。
    • 1972年、スルー地方でイスラム教徒の反乱がはじまる。つづいて、ラナオ、コタバト地方に拡大。
    •    同年、フェルディナンド・マルコス大統領、戒厳令布告に署名、23日、公布。
    •    同年、憲法議会、戒厳令体制を強化する新憲法を承認。
    •    同年、大統領布告21号(小作解放令)。
    • 1973年、フェルディナンド・マルコス訪中、国交樹立。
    •    同年、新憲法承認の市民集会。新憲法公布。
    •    同年、大統領権限により調印後13年ぶりに日友好通商航海条約を批准。
    • 1974年、ホセ・ラウレル、ラングレー協定満期失効。
    •    同年、戒厳令抗議ミサ。ハイメ・シン枢機卿、戒厳令停止を求めて国民の祈祷を要請。
    • 1975年、中華人民共和国と国交樹立。
    • 1976年、ソ連と国交樹立。
    •    同年、ベトナムと国交樹立。
    •    同年、戒厳令延長を認める国民投票が実施される。
    •    同年、政府とモロ民族解放戦線の停戦協定がリビア政府の仲介によりトリポリで結ばれる。
    •    同年、日賠償終了。
    • 1977年、ベニグノ・アキノ元上院議員に死刑判決。大統領特赦によって終身刑に減刑される。
    • 1978年、国民議会選挙が行われる。マルコス与党の「新社会運動」が圧勝。
    •    同年、モロ民族解放戦線「MNLF」の和平路線に反発した勢力が分派し、その後モロ・イスラム解放戦線「MILF」設立。
    • 1979年、米基地協定改正。基地の共同使用を定める。
    • 1980年、1991年夏に期限切れとなる基地協定更新のための米本交渉が始まる。
    •    同年、デューイ・ディー事件(金融不安へ)。戒厳令停止。フェルディナンド・マルコス再選。
    •    同年、地方議会選挙でマルコス与党が勝利するも、サルバドール・ホセ・ラウレル率いる野党国民党が善戦。
    • 1983年、コラソン・アキノ大統領選出馬表明。野党連合成立。
    • 1986年、上下両院復活、国民投票で新憲法制定。マルコス忠誠派、国軍改革運動派の反乱、クーデター事件。
    •    同年、コラソン・アキノ大統領就任。
    • 1989年、ルソン島北部の都市、バギオで大地震発生し、多数の死傷者。
    • 1990年、アキノ暗殺事件裁判、軍人16人に無期懲役判決。
    •    同年、スイス最高裁、マルコス隠し財産のフィリピン政府への返却を命ずる判決。
    •    同年、ミンダナオ島各地で国軍反乱。6日に無条件降伏。
    •    同年、米基地交渉で大筋合意。、米軍の1992年以降の基地使用を認め、大幅譲歩。
    • 1992年、フィデル・ラモス、大統領に就任。米軍撤退完了。
    • 1995年、モロ人民解放戦線と和平協定。
    • 1998年、ジョセフ・エストラーダ大統領就任。
    • 2000年、
    •    同年、エストラーダ政権が、モロ・イスラム解放戦線「MNLF」との全面戦争を宣言。
    •    同年、ジョセフ・エストラーダ大統領、不正蓄財疑惑により議会から弾劾の訴追を受け退陣。
    • 2001年、副大統領グロリア・マカパガル・アロヨ、大統領に就任。
    •    同年、ジョセフ・エストラーダ前大統領、特別横領罪(略奪罪)などで逮捕、起訴。
    • 2004年、グロリア・マカパガル・アロヨ大統領が、大統領選挙に再度立候補し、当選。
    • 2004年、スビク湾の婦女暴行事件で、駐留米兵4人逮捕。付加価値税の引き上げ。
    • 2006年、ジョセフ・エストラーダ前大統領、アロヨ大統領の恩赦を受け入れ釈放。
    • 2009年、6月30日、ベニグノ・アキノ3世が、中間層、高所得層に広く支持され当選。大統領に就任。
    • 2011年、グロリア・マカパガル・アロヨ前大統領、2007年の上院選に絡んだ選挙法違反容疑で逮捕。
    • 2012年、アキノ政権がモロ・イスラム解放戦線「MILF」と2016年の自治政府設立に向けた枠組みで合意。
    •    同年、グロリア・マカパガル・アロヨ前大統領、公金の不正流用の疑いで警察に再逮捕。
    • 2014年、1月25日、フィリピン南部ミンダナオ島の紛争を巡る和平交渉で、政府と反政府武装勢力モロ・イスラム解放戦線(MILF)は、解放戦線側が武装解除することで合意し、40年以上続いた紛争終結を目指し、包括合意に調印する見通し。(毎日新聞)

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