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ガーバーナイフ(Gerber Knives)

ガーバーナイフの名前と伝説 (Garber knife name and legend)

ガーバー(gerber)社は、ジョセフ・R. ガーバー(Joseph R. Gerber)氏により、オレゴン州ポートランド(Portland)で1910年に創設された公告代理店でした。1939年、マーフィー・ナイフをガーバーの名で販売する、ガーバー・ハンドメイド・ブレード(Gerber Hand Made Blades)が創立され、1947年、社名をガーバー・レジェンダリー・ブレード(Gerber Legendary Blades)に変更します。1958年、ピート・ガーバー氏が社長に就任し、製造販売を続けましたが、1987年、ガーバー・レジェンダリー・ブレードをフィンランドの食卓用金物メーカー、フィスカース(Fiskars)に売却し現在に至っています。

ガーバー社ガイドブック(Gerber guidebook)

1948キッチンナイフ p12 1948キッチンナイフ p13

もとは、ジークフリート(siegfried)の父親への、オーディン(Odin)の贈り物でしたが、後に怒りによって粉砕されます。粉砕された剣は、古代スカンジナビアの神の鍛冶師ミミング(Miming)の指導の下で、若いジークフリートだけが再鍛造することができました。 新しい剣は、それが創り出された金床、小川で浮いている羊毛の束を切り裂きました。 ジークフリートは、ファフニールを退治した際、血を浴びて全身が甲羅のように硬くなり、不死身の体となります。しかしこの時、背中に科の木の葉(linden leaf)が一枚貼り付いていて血を浴びられず、この部分がジークフリートの弱点となります。 その後、ジークフリートはブルグント(Burgund)王の妹クリームヒルト(Kriemhild)と結婚し、平穏に暮らしていました。 しかし、王妃ブリュンヒルデ(Brunhilder)の名誉を傷つけられたとして、ブルグントの国の重臣ハゲネ(Hagene)はジークフリートの暗殺を計画します。ハゲネはクリームヒルトをだまし、ジークフリートの弱点を聞き出し、投槍で背中の急所から心臓を貫き暗殺します。 ジークフリートの亡骸を見たクリームヒルトは、弱点の背中が貫かれている事からハゲネを捕らえ、ハゲネの首をバルムンクで刎ね、ジークフリートの復讐を果たします。 バルキューレ(Valkyries)の元女王、ブリュンヒルデ(Brunhilder)は、彼の火葬用の薪に登り、バルムンクで自殺します。

BALMUNC (bal' moong) was Siegfried's sword which slew the dragon Fafnir, guardian of the Nibelung treasure. Originally a gift of Odin to siegfried's father, later shattered by the wrath, it could be reforged only by the young Siegfried under the tutelage of Miming, the smith of the Norse gods. The new sword cleft the anvil on which it was forged also a wisp of wool merely floating against it in the creek. After killing the dragon, Siegfried bathed in its blood, becoming invulnerable except where a linden leaf stuck to his hack. His eventual murderer found this spot. Brunhilder, ex-queen of the Valkyries, climbed upon his funeral pyre and killed herself with the sword Balmung.

778年8月15日、 ロンセスバリェス(Roncesvalles)の血の戦いで、シャルルマーニュの華の軍隊は、ガネロン(Ganelon)の裏切りによりサラセン人(Saracens)に敗退します。瀕死の状態となったローランは、デュレンダルが異教徒の手に落ちるのを妨ぐために山腹の岩に叩きつけて折ろうとしますが、剣は岩を両断して折れませんでした。 ピレネー山脈(Pyrennes)の深さ300フィートの谷間の裂け目は、今日まで、ラブレシェローラン(La Breche de Roland)として知られています。 デュレンダルは古代トロイ(Troy)の王子、ヘクター(Hector)が使っていた剣とされていて、フランス中南部のロカマドゥール(Rocamadour)に守られています。 また、マドリッド(Madrid)のロイアルアーモリー(Royal Armoury)にも展示されています。

DURENDAL(doo' ren d'l - "hard as the devil") was the sword of Rolland, greatest paladin of Charlemagne. At the bloody battle of Roncesvalles on August 15, 778, where the flower of Charlemagne's army was betrayed and overwhelmed by the Saracens, Roland attempted to break his famous sword against the mountain side, to prevent its falling into infidel hands at his death. The resulting cleft in the upper Pyrennes is known to this day as the La Breche de Roland, a gorge 300 feet deep. Durendal first belonged to Hector of Troy. It is said to he still preserved at Rocamadour, in France. It is also shown to tourists in the Armory of Madrid.

アーサーだけがそれを引き抜くことができ、それから、彼の治世が開始します。 アーサー王の死で、エクスカリバーは王の遺言により、魔法によりビビアン(Vivian)の城を潜めた湖に投げ入れられました。 湖から現れた、流れる白い絹のそでの手は、剣を掴み、時代を振り回して、永遠に消えてしまいます。

EXCALIBUR (eks-kal' i-her-ex calce liberatus, "freed from the stone") the invincible sword of King Arthur, was found driven by Merlin's magic into a rock in front of the church. Its hilt bore an inscription signifying that the man who could withdraw the blade was the rightful king of England. Only Arthur could budge it, and thus began his reign. At King Arthur's death Excalibur was thrown, at the king's request, out into the enchanted lake which hid the castle of Vivian, the Lady of the Lake. A hand in a flowing, white silk sleeve caught the sword, brandished times and disappeared forever.

Wikipedia もともと、
1136年頃にジェフリー・オブ・モンマス(Geoffrey of Monmouth)が書いた『ブリタニア列王史(Historia Regum Britanniae)』に、アーサー王の剣をカリブルヌス(Caliburnus)とした記述があり、これらがのちに英語のエクスカリバー(Excalibur)になったといわれています。
ロベール・ド・ボロン(Robert de Boron)の詩『メルラン物語(Estoire de Merlin)』では、アーサーは石に刺さった剣を引きぬいて王になりますが、ボロンの詩にはこの剣の名前は明記されていませんでした。 しかし、多くの人がそれがエクスカリバーだと考え、その後書かれたランスロット・グレイル(Lancelot-Grail)の一部『メルラン続伝(Suite du Merlin)』でそのことが明記されます。 ところが、さらにその後に書かれたポストウルガタサイクル(Post-Vulgate Cycle)の『メルラン続伝(Suite du Merlin)』では、エクスカリバーはアーサーが王になったあとに湖の乙女によって与えられるものとされています。 15世紀後半、ウェールズ人の騎士トマス・マロリー(Thomas Malory)は、『アーサー王の死(Le Morte Darthur)』に、「石に刺さった剣を抜いて王になる」と、「湖の乙女から魔法の剣を受け取る」の両方を取り入れ、2本の剣をともにエクスカリバーとしています。

古代スカンジナビアの神の鍛冶師ミミング(Miming)により鍛造され、シャルルマーニュ大帝とサラセン人の戦いで有名になります。
『ローランの歌(The Song of Roland)』では、「シャルルマーニュは、きめ細かな白の鎖帷子と、金の鋲が打たれた兜を身に纏い、腰にはジョイユースを帯びていた。それに並ぶ剣は無く、また日に30回、その色彩を変じるという。(Charlemagne was wearing his fine white coat of mail and his helmet with gold-studded stones; by his side hung Joyeuse, and never was there a sword to match it; its color changed thirty times a day.)」

JOYEUSE (zhwa-yuz', joyous) was Charlemagne's trusted blade, forged by Miming himself and made famous in the great emperor's campaigns against the Saracens.

ミミングの剣は、彼の息子ヘイミー(Heime)のために、鍛冶師ウェイランド(Weyland)によって創り出された誇り高い剣で、彼自身の名をとってミミングと命名しました。 ミミングは、ジークフリート(siegfried)だけではなく、奇跡的な刃を鍛造するヴェルンド(Volund)や、ウェイランド(Weyland)の指導者でした。 それは、圧倒的な剣対突き通せない鎧の有名な競技会で対抗する鍛冶師アミリアス(Amilias)を破った彼と同名の剣を持つミミングでした。 鍛冶師アミリアスの作った甲冑は、それを身につけたアミリアス本人と共に、二つに両断されましたが、アミリアスはあまりの切れ味に、飛び跳ねるまで事実に気づきませんでした。 これは、ドイツ、ジークフリートと鍛冶師ミーメルの物語。

MIMING (mee' ming) ミミング was a sword of which the master smith was so proud that he named it after himself, as his own son. Miming the smith was tutor not only to Siegfried but to Volund, or Wayland the smith, also noted for forging miraculous blades. It was Miming with his namesake sword who defeated the rival smith Amilias in the famous contest of the irresistible blade versus the impenetrable armor. Amilias in his armor was sliced neatly in two, but was unaware of the fact until rising to walk. This is the earliest known version of the "jes' wobble yo' haid" story.

語源はオランダ語で、「切断し突き刺す(cut and stab)」のオランダ語、SnickとSneeに起源があります。新たに切り分けた肉を拾い上げるために使用する特別の先端があり、切って刺すことができます。

SNICKERSNEE (snick' er-snee) Legendary blade of Koko, Lord High Executioner in "The Mikado" by Gilbert and Sul. The word is of Dutch origin, a corruption of Snick and Snee, means to "cut and stab."

アーサー王伝説の語り手の一人として知られる、ジェフリー・オブ・モンマス(Geoffrey of Monmouth )によって「長く、広い、虐殺のためにも不自然である」と言われました。もともとはウェールズ伝説(Welsh legend)ではロンゴミニアド(Rhongomynad)と呼ばれていました

RON (ron) was King Arthur's lance, described by Geoffrey of Monmouth as "hard, broad and well contrived for slaughter.

オジェは、デンマークではホルガー・ダンスク(Holger Danske)の名で親しまれ、地元の英雄とされています。カルタナは、元来トリスタン(Tristan)の剣であったと思われていて、それは、オジェに合わせ切り詰められ、「短い」という意味の名の、切っ先が欠けた名剣カルタナとなったと言われています。
また、イギリス王家に代々伝わる剣の名称でもあり、カータナ、クルタナ、コルタナ、コルタン、クールタンなどと音写されることもあります。名称はラテン語の、「短くされた、詰められた」の「curtus」に由来し、切っ先が無い形状をしていて、無先刀、無鋒剣などと訳されることもあります。ピューリタン革命で一度失われ、チャールズ2世の代に作り直されたそうです。1953年にエリザベス2世の戴冠式で使用され、現在はロンドン塔の宝物館に展示されているそうです。

リンク先、左より慈悲の剣 (Sword of Mercy=Curtana)と鞘、俗界正義の剣(Sword of Temporal Justice)、天界正義の剣(Sword of Spiritual Justice)。(The Swords of Mercy=Curtana, with scabbard, the Swords of Temporal Justice and Spiritual Justice.)

この槍は決して的を射損なうことなく、敵を貫いた後は持ち主の手もとに戻ってきます。また、この槍を向けた軍勢には必ず勝利をもたらします。グングニルの穂先はしばしばルーン文字が記される場所の1つとされていて、柄はトネリコで作られているとされています。

フランベルジュ(flamberge)

フランベルジュ(flamberge)は、中世フランスのシャルルマーニュ伝説でシャルルマーニュ大帝(Charlemagne)に仕えたとされる騎士ルノー・ド・モントーバン(Renaud de Montauban)がこの剣を愛用していました。

刀身が炎のように波打っているのが特徴で、名前の由来は、火炎の形という意味のフランボワヤン(flamboyant)、或いは、炎の様に輝くという意味のflamboyer(フランブワィエ)からきています。フランベルジェは両手剣の一種ですが、炎形の刃を持ったものを特にこう呼びます。


日本では結婚式に「割れる。切れる。壊れる」など禁忌で、刃物の贈り物は良くないとされています。 刃物をプレゼントする時にはタダであげてはいけません。あげた人の財布の中にある一番小さな額のコイン1つで支払わせます。それは、その人との縁を切ってしまわないように。
With each case is a Glft Bill for 1 cent. By making the recipient pay 1 cent to the donor, the transaction escapes the superstition about giving a cutting piece.