pichori


序論(Introduction)

ライブ・ピジョン・シューティング(Live Pigeon Shooting)トラップ射撃(Trap shooting)は18世紀後半にイギリスで開発されたと言われています。最初のターゲットは、生きた鳥で、ライブ・ピジョン・シューティング(Live Pigeon Shooting)と呼ばれました。トラップとして知られているケージのフタの部分が地表から見えるように地面に埋め、その中に生きた鳥を入れます。射手はこの箱から19m離れた場所に立ちます。箱のフタには、紐が取り付けられ、フタはスライドして開く構造になっています。射手はショットガンを射撃可能な状態で持ち、鳥が飛び立つのを待ちます。プーラーと呼ばれる人が、このフタに付けられた紐を引きます。紐が引かれてフタが外れると鳥は飛び立ち、射手はその鳥を撃ちます。このゲームは、18世紀中期から後期に掛けて、英国とヨーロッパで盛んに行われるようになります。
  スポーツとしては、19世紀初頭に米国で最初に行われ、19世紀半ばにはオハイオ(Ohio)州、シンシナティ(Cincinnati)、及びニューヨーク市(New York City)エリアで人気があったそうです。その後、生きたハトの希少性から、米国のトラップ射撃愛好家は人工的なターゲットを作成するようになります。
  ライブ・ピジョン・シューティング(Live Pigeon Shooting)は、鳥撃ち猟をスポーツの形にしたものであると同時に、クレー射撃の原点と言えます。絵は、1865年に、ロンドンのホンジーの森(Hornsey wood)で行われた貴族によるピジョンシューティング(pigeon shooting)の様子。

(picture from The Illustrated sporting news.)

内容(Contents)

日本の射撃の歴史(History of the shooting of Japan)

  • 1873年〜4年(明治6年〜7年)、神奈川県橘樹郡生見尾村(うみおむら)字鶴見二見臺(現、横浜市鶴見区鶴見1丁目)で放鳥射撃場が開設され、初期は不明ですが後に児島惟謙(こじまこれかた)氏が会長となります。
  • 1877年(明治10年)、東京府荏原郡入新井村(現、東京都大田区山王2丁目)で放鳥射撃場が開設され、大村純英(おおむらすみひで)伯爵が会長となります。
  • 東京共同射的会社射的場同年1月10日、上野公園射的場の代替地として、東京共同射的会社射的場が、東京府本郷区向ヶ岡弥生町(現、東京都文京区弥生2丁目 東京大学内)に、警視局(現、警視庁)の射的場として開設されます。

    (地図は、1884年(明治17年)発行の地形図)


  • 1883年(明治16年)、東京共同射的会社射的場は宮内省の所轄となり、同年に小松宮彰仁親王を会長とする東京共同射的會社(會社=協会)が設立され、皇宮地附属地(帝室財産)の東京共同射的會社射的場となります。
  • 1888年(明治21年)5月30日、横浜放鳥射撃会発足。射撃会会長は、第8代横浜税関長の有島武(ありしまたけし)氏、副会長は吉田健三(よしだけんぞう)氏、幹事は矢野裕義(やのひろよし)氏。事務所は横浜市中区弁天通り、射撃場は神奈川県橘樹郡生見尾村(うみおむら)字鶴見二見臺(現、横浜市鶴見区鶴見1丁目)。同年に第1回大会が開かれます。1909年(明治42年)に戸塚へ移転します。
  • 同年、東京共同射的會社と東京共同射的會社射的場は、東京府荏原郡入新井村(現、東京都大田区山王2丁目)に移転し、日本帝國小銃射的協会となります。
  • 大森射的場1889年(明治22年)6月29日、日本帝国小銃射的協会(前、東京共同射的会社)の大森射的場が東京府荏原郡入新井村(現、東京都大田区山王2丁目)に開場します。

    (写真は、『大田区の近代文化財』 より)


  • 帝国猟友射撃会場1914年(大正3年)、大森射的場、東京府荏原郡入新井村(現、東京都大田区山王2丁目)の放鳥射撃場のみが、神奈川県橘樹郡鶴見町馬場村(現、横浜市鶴見区馬場町)に移転し、帝国猟友射撃会場となり帝国猟友会の管轄となります。

    (地図は、1934年(昭和9年)発行の地形図)


  • ハンド・トラップ(Hand Trap)同年、放鳥射撃からクレー射撃となり、神奈川県橘樹郡鶴見町東寺尾村(現、横浜市鶴見区東寺尾町)にて、日本におけるクレー射撃の第1回全国射撃大会がハンド・トラップ(Hand Trap)にて開催されます。

  • 1922年(大正11年)、第1回全日本クレー射撃選手権、トラップ競技が猟友会主催で行われます。
  • 1925年(大正14年)、學生射撃聯盟(学生射撃連盟)が結成されます。会長は山川健次郎氏。
  • 1929年(昭和4年)9月26日、大日本猟友会が、野生鳥獣の保護、狩猟事故・違反防止対策などの活動、日本国内における狩猟者のための共済事業を行うために創設されます。2012年(平成24年)4月1日から一般社団法人に移行します。
  • 1937年(昭和12年)、日本帝国小銃射的協会は、學生射撃聯盟(学生射撃連盟)及び、他の一般団体と合併し、大日本射撃協会が設立されます。会長は奈良武次氏。
  • 同年、大森射的場は、周囲の宅地化により敷地の2/3を分譲地とし、テニスコートだけを残して射撃場は鶴見の北寺尾に移転し、現在は、大森テニスクラブになっています。
  • 1949年(昭和24年)、大日本射撃協会の改組により日本クレー射撃協会が誕生します。

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