pichori


序論(Introduction)

近代的な特許制度は、1561年、英国のエリザベス一世によっ て制定された「独占的実施権」に始まります。当時の英国はまだ後進国で、羊毛が最大の輸出品でした。
それをより価値の高い 毛織物などにして輸出するには、大陸の進んだ技術が必要でした。そこでエリザベス一世はフランドル地方(現在のオランダ、 ベルギー)から毛織り職人を招き入れ、毛織物に関する生産・販売に関する「独占的実施権」を与えました。そしてその見返りに女王は、上納金制度をとりました。 財政が困難な英王室は、独占的実施権を乱発して、トランプの製造・販売まで特定の業者が独占するまでになり、ついに議会は1624年に「専売条例」を制定して、発明と新規事業に限って特許権を発行できるようにしました。この専売条例が、近代特許法の原型と言われています。
専売条例のもとでは、新しい技術の発明者は、最長14年間の独占権を認められ、その間に収入を得ることができました。その期間が過ぎれば、独占権は消滅し、多くの業者によってその技術が普及し、技術の革新と普及を促進し、国を富ませ、人々の生活を向上させることとなります。この条例のもとで、ジェームス・ワットの蒸気機関や、リチャード・アークライトの水車紡績機など、画期的な新技術が発明され、英国に産業革命をもたらしました。

内容(Contents)

アメリカ合衆国の特許制度

  • 英国の植民地から独立した米国は、特許制度の重要性をよく認識していました。
    ジョージ・ワシントンが中心となって制定されたアメリカ合衆国憲法の第1条第8項に『特許を与える権利は議会にあること』と規定しています。 第16代大統領リンカーン(Abraham Lincoln)は、近代技術の戦略的価値を見抜いていて、南北戦争が始まると、リンカーンのもとに、新型兵器のアイデアが持ち込まれました。その中から、リンカーンは連発式ライフル銃、地雷、銃臼砲、鉄道砲、装甲艦、潜水艦、軍事観測気球などを大量に戦場に送り込みました。
    南北戦争が終わると、リンカーンは全米の工業化に着手します。その原動力が特許権の保護強化でした。南北戦争が終わった1865年から大不況が襲った1930年 の期間に、アメリカは英国を凌ぐ工業大国として躍進を遂げました。
    1859年 リンカーンがイリノイ大学で行なった「発見と発明について」の講演より。
    『そして、アメリカの発見の次に特許法がやってきました。 特許制度は1624年にイギリスで始まり、わが国(アメリカ)では憲法への採択とともに始まったのです。それまでは、誰もが他人の発明をすぐさま使ってよかった。それゆえ、発明家は彼の発明によってなんら特別、益するところがなかった。特許制度は、これを変えたのです。 新規で有用な事物の発見と製造において、一定期間、発明家に独占権を保障することで。そして、そのことによって、特許制度は、天才という火に利益の油を注いだのです。』
    アメリカ合衆国商務省の玄関脇の大理石には、「特許法は、天才の火に利益という油を注ぐ」と刻まれたリンカーンの言葉があるそうです。

コルトとブローニングのU.S.パテント



ページトップ
戻る